横浜地方裁判所 平成元年(行ウ)15号 判決 1997年8月07日
原告
東日本旅客鉄道株式会社
右代表者代表取締役
松田昌士
右訴訟代理人弁護士
西迪雄
同
秋山昭八
同
向井千杉
同
富田美栄子
被告
神奈川県地方労働委員会
右代表者会長
榎本勝則
右訴訟代理人弁護士
久連山剛正
右指定代理人
坂本健作
同
小泉洋
被告補助参加人
国鉄労働組合
右代表者中央執行委員長
永田稔光
被告補助参加人
国鉄労働組合東京地方本部
右代表者執行委員長
高橋義則
被告補助参加人
国鉄労働組合東京地方本部横浜支部
右代表者執行委員長
久保沢正
被告補助参加人
国鉄労働組合東京地方本部国府津支部
右代表者執行委員長
緒方博
右四名訴訟代理人弁護士
岡田尚
同
野村和造
同
福田護
同
岡部玲子
同
中村宏
同
武下人志
同
武井共夫
同
滝本太郎
同
北川鑑一
同
鵜飼良昭
同
星山輝男
同
伊藤幹郎
同
飯田伸一
同
小島周一
同
横山國男
同
森卓爾
同
小口千恵子
同
山田泰
同
影山秀人
同
星野秀紀
同
小野毅
同
陶山圭之輔
同
湯沢誠
同
中込光一
同
三竹厚一
同
岡村三穂
同(復代理)
大塚達生
同(復代理)
西村隆雄
同(復代理)
田中誠
同(復代理)
高田涼聖
同(復代理)
岩村智文
同(復代理)
南雲芳夫
同(復代理)
高橋宏
同(復代理)
古川武志
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、補助参加によって生じたものを含め、原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告が、神労委昭和六二年(不)第一五号、第一九号、第二九号及び昭和六三年(不)第九号併合事件について、平成元年五月一五日付けでした命令を取り消す。
第二 事案の概要
被告補助参加人(以下「参加人」という。)ら所属の別紙組合員目録1、2記載の組合員ら(以下「本件組合員ら」という。)は、原告の再三にわたる注意・指導にもかかわらず就業時間中に組合バッジ(縦1.1センチメートル、横1.3センチメートルの四角形で、この中にレールの断面とNRUの文字が表示された、国鉄労働組合の組合員であることを表象するものである。以下、このバッジを「本件組合バッジ」という。)を着用していたところ、原告は、就業規則により就業時間中における組合バッジの着用が禁止されているとして、本件組合員らのうち別紙組合員目録1記載組合員らに対し訓告又は厳重注意の処分(以下「本件処分」という。)をするとともに、本件組合員らに対し夏季手当の減額支給(以下「本件減額措置」といい、原告の以上の措置を「本件措置」という。)をした。そこで、参加人らは、原告が国労組合員に対して本件組合バッジ等の取り外しを強要しており、本件措置は正当な組合バッジの着用を理由とした不利益処分であるとともに、この処分を通じて参加人ら組合の組織の動揺・破壊を狙った支配介入行為である等と主張して、被告に対して救済命令の申立てをしたところ、被告は、原告の行った本件措置を含む一連の措置は労働組合法七条三号の支配介入に該当する不当労働行為であるとして、後記のとおりの救済命令(以下「本件命令」という。)を発した。
本件は、原告が、右命令は原告における職場規律の本質及び実態を無視し、就業規則の解釈適用を誤ってなされた違法な処分であると主張して、この取消しを求めた事案である。
一 争いのない事実及び確実な証拠により明らかに認められる事実
1 当事者関係
(一) 原告は、昭和六二年四月一日に、日本国有鉄道改革法(以下「改革法」という。)に基づき設立された株式会社であって、日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)が経営していた旅客鉄道事業のうち東北、関東地方を中心とする地域における事業を引き継ぎ、その営業等を行うものであり、会社設立時の従業員数は約八万二〇〇〇名である。
原告は、首都圏の列車、電車等の運行にかかる管理業務を行う東京圏運行本部を設け、更にその下に駅その他の現業機関を設けている。
(二) 被告は、労働組合法に基づき設置され、労使間の不当労働行為の審査、判定及び紛争の斡旋、調停、仲裁等を主として行う行政機関である。
(三) 参加人国鉄労働組合(以下「国労」という。)は、昭和二二年に国鉄職員により結成された労働組合であり、昭和六二年四月一日以降は、国鉄が分割民営化されたことに伴い、原告会社その他の国鉄の事業を承継した法人、国鉄清算事業団等に勤務する者によって組織されており、その組合員数は平成三年五月当時約三万二〇〇〇名であり、原告における国労の下部組織である東日本本部の組合員数は同じく約二万名である。
参加人国鉄労働組合東京地方本部(以下「東京地本」という。)は、国労の下部組織の労働組合であり、国労の組合員のうち、東京を中心とする事業地域で勤務する者で組織されており、その組合員数は平成三年五月当時約一万一〇〇〇名である。
参加人国鉄労働組合東京地方本部横浜支部(以下「横浜支部」という。)及び同国鉄労働組合東京地方本部国府津支部(以下「国府津支部」という。)は、いずれも東京地本の下部組織の労働組合であり、それぞれ横浜・川崎市内及びその周辺地域の職場、小田原市内及びその周辺地域の職場に勤務する者で組織されており、その組合員数は平成三年五月当時、前者が約一八〇〇名、後者が約四七〇名である。
(四) 原告の社員が所属している労働組合には、国労東日本本部があるほか、全日本鉄道労働組合総連合会(平成三年五月当時の組合員数約一二万名。以下「鉄道労連」という。)所属の東日本旅客鉄道労働組合(平成三年五月当時の組合員数約五万五〇〇〇名。以下「東鉄労」又は平成元年六月略称改称の「JR東労組」という。)、日本鉄道産業労働組合総連合(平成三年五月当時の組合員数約二万名。以下「鉄産総連」という。)所属の東日本鉄道産業労働組合(平成三年五月当時の組合員数約五〇〇〇名)等がある。なお、国鉄当時には、国労のほか、鉄道労働組合(以下「鉄労」という。)、国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。)、全国鉄施設労働組合(以下「全施労」という。)、真国鉄労働組合等の労働組合があった。
2 原告の就業規則等の定め
(一) 原告の就業規則のうち、組合バッジ等の着用に関連する規定は、次のとおりとなっている。
(服務の根本基準)
第三条 社員は、会社事業の社会的意義を自覚し、会社の発展に寄与するために、自己の本分を守り、会社の命に服し、法令、規程等を遵守し、全力をあげてその職務の遂行に専念しなければならない。
2 (略)
(服装の整正)
第二〇条 制服等の定めのある社員は、勤務時間中、所定の制服等を着用しなければならない。
2 社員は、制服等の着用にあたっては、常に端正に着用するよう努めなければならない。
3 社員は、勤務時間中に又は会社施設内で会社の認める以外の胸章、腕章等を着用してはならない。
(勤務時間中等の組合活動)
第二三条 社員は、会社が許可した場合のほか、勤務時間中に又は会社施設内で、組合活動を行ってはならない。
(懲戒の基準)
第一四〇条 社員が次の各号の一に該当する行為を行った場合は、懲戒する。
(1) 法令、会社の諸規程等に違反した場合
(2) 上長の業務命令に服従しなかった場合
(3) 職務上の規律を乱した場合
(4)ないし(12) (略)
(懲戒の種類)
第一四一条 懲戒の種類は次のとおりとする。
(1)ないし(3) (略)
(4) 減給 賃金の一部を減じ、将来を戒める。
(5) 戒告 厳重に注意し、将来を戒める。
2 懲戒を行う程度に至らないものは訓告する。
(二) 原告の賃金規程のうち、期末手当の額の減額に関連する規定は、次のとおりとなっている(昭和六三年八月人達第一二号による改正前)。
(調査期間)
第一四二条 調査期間は、夏季手当については前年一二月一日から五月三一日まで、年末手当については六月一日から一一月三〇日までとする。
(支給額)
第一四三条 期末手当の支給額は、次の算式により算定して得た額とし、基準額については、別に定めるところによる。
基準額×(1−期間率±成績率)=支給額
(成績率)
第一四五条 第一四三条に規定する成績率は、調査期間内における勤務成績により増額、又は減額する割合とする。
2 (略)
3 成績率(減額)は、調査期間内における懲戒処分及び勤務成績に応じて、次のとおりとする。
ア 出勤停止 一〇/一〇〇減
イ 減給、戒告、訓告及び勤務成績が良好でない者 五/一〇〇減
(三) また、賃金規程のうち、昇給号俸からの減号俸に関連する規定は、次のとおりとなっている。
(昇給の所要期間及び昇給額)
第二二条 昇給の所要期間は一年とし、その昇給は、四号俸(以下「所定昇給号俸」という。)以内とする。(略)
2 (略)
(昇給の欠格条項)
第二四条 昇給所要期間内において、別表第八に掲げる昇給欠格条項(以下「欠格条項」という。)に該当する場合は、当該欠格条項について定める号俸を昇給号俸から減ずる。(略)
2 (略)
別表第八(第二四条)昇給欠格条項
1 (略)
2 懲戒処分
処分一回につき
所定昇給号俸の一/四減(略)
3 訓告
二回以上 所定昇給号俸の一/四減
4 勤務成績が特に良好でない者
所定昇給号俸の一/四以上減
「勤務成績が特に良好でない者」とは、平素社員としての自覚に欠ける者、勤労意欲、執務態度、知識、技能、適格性、強調性等他に比し著しく遜色のある者をいう。
(四) なお、原告と国労東日本本部が昭和六二年四月二三日に締結した労働協約の六条には、組合員(専従者を除く。)は、原告から承認を得た場合を除き、勤務時間中に組合活動を行うことができない旨の定めがあり、また、右両者間で昭和六三年一一月二八日に締結された「労使間の取扱いに関する協約」の四九条においても、同様の定めがある。
3 本件措置の経緯
(一) 原告は、昭和六二年四月七日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、各現業機関の社員を対象に、同月一日から七日までにおける社章、氏名札及び組合バッジの常態的な着用状況についての調査・報告を指示した。
右調査結果によると、組合バッジ着用者は五六四五名(全体の8.8パーセント)で、そのうち五六三四名は国労組合員であった。
(二) 原告は、同月二〇日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、組合バッジ着用者に対しては服装違反である旨注意を喚起して取り外すよう注意・指導すること、その際の注意に対する言動を含めた状況を克明に記録しておくこと、繰り返し注意・指導を行ったにもかかわらず、これに従わない社員に対しては、『就業規則』・『社員証、社章及び氏名札規程』に違反するとして厳しく対処することとし、人事考課等に厳正に反映させることとされたいこと、等を内容とする指示をした。
これを受け、翌二一日、東京圏運行本部の総務部人事課長及び勤労課長は、関係現業機関の長に対して同旨の指示をした。
(三) 原告は、同月二三日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、同年五月七日から一三日までの間における社員の社章、氏名札及び組合バッジの着用状況の第二次調査・報告を指示した。
右調査結果によると、組合バッジ着用者は二七九八名(全体の4.4パーセント)で、そのうち二七九〇名は国労組合員であった。
(四) 東京圏運行本部の人事課長及び勤労課長は、同年四月二八日、各現業機関の長に対し、組合バッジを着用するなど決められた服装をしていない社員について個人別に把握するよう指示した。
(五) 原告は、同年五月二一日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、依然として管理者の注意・指導に従わず服装違反を繰り返す社員が見受けられるとして、更に強力にこれら服装違反の社員に対して注意・指導の徹底を図り、直ちに改善に取り組むよう指示した。
(六) 原告は、同月二八日、関係各機関の総務部長等あてに、服装違反者に対する方針を示し、その中で、当該方針を翌二九日から点呼、掲示等により社員に対し周知徹底を図る上での参考として警告文を示し、現場の実態について完全に把握し、厳正な対処の準備を図るよう指示した。
(七) 原告は、同年六月一二日、別紙組合員目録1記載の国労組合員に対し、同年四月一日から六月四日の間において本件組合バッジ等を着用し度重なる注意・指導に従わなかったことを理由として厳重注意の処分を、また、その際に不必要な発言により職場規律を乱したことを理由として訓告の処分をそれぞれ発した。
なお、原告は、全社で四六二〇名の社員に対し厳重注意、二一〇名の社員に対し訓告の処分を行ったが、そのうち厳重注意の四名以外は全て国労組合員であった。
(八) 原告は、同年七月三日支給の夏季手当に関し、別紙組合員目録1記載の国労組合員(組合専従である久保沢正組合員を除く。)及び処分の発令はなかったものの、本件組合バッジ等を着用していた別紙組合員目録2記載の国労組合員に対し、同年四月一日から五月三一日までにおける勤務成績が良好でないとして、賃金規程一四五条一項、三項に基づき、支給額の五パーセントを減額した。
4 本件命令の発令
(一) 参加人らは、本件組合バッジ着用等に対する原告の本件措置は不当労働行為にあたるとして、被告に対し次の救済申立てを行った。
(1) 昭和六二年(不)第一五号事件(昭和六二年五月二九日申立て)
原告が、鎌倉駅において、国労組合員に対し、本件組合バッジの取り外しを強要しているとして、参加人らのうち国労、東京地本及び横浜支部が救済を申し立てたものである。
(2) 昭和六二年(不)第一九号事件(昭和六二年六月一八日申立て)
原告が、国労組合員に対し、本件組合バッジ着用を理由に訓告・厳重注意の処分を行ったことに対し、参加人ら四名が救済を申し立てたものである。更に、本件減額措置について追加申立てを行った。
(3) 昭和六二年(不)第二九号事件(昭和六二年一〇月一日申立て)
原告が、横浜駅において、住吉正人組合員に対し、本件組合バッジ又は国労マーク入りのネクタイ等の取り外しを強要したとして、参加人らのうち国労、東京地本及び横浜支部が救済を申し立てたものである。
(4) 昭和六三年(不)第九号事件(昭和六三年六月一三日申立て)
本件措置の対象となった組合員を追加して、参加人ら四名が救済を申立てたものである。
(二) 被告は、参加人らの右各申立てを併合したうえ、平成元年五月一五日、原告の参加人ら組合及び本件組合員らに対する一連の組合バッジ取り外し指導行為及び本件措置は、職場規律の是正という目的を超え、組合バッジ着用を口実に参加人ら組合の活動を規制し、これによって組合の弱体化を意図した支配介入行為として労働組合法七条三号に違反する不当労働行為である旨の判断をし、主文を別紙のとおりとする本件命令を発し、同命令は、右同日、被申立人たる原告に交付された。
二 争点
原告が参加人ら組合及び本件組合員らに対して行った本件措置等一連の措置は、参加人ら組合の弱体化を意図して行われた労働組合法七条三号に該当する支配介入行為といえるか否か。
三 原告の主張
1 本件命令の判断の誤り
(一) 原告は、改革法に基づき国鉄とは別個の新企業体として発足した際、国鉄末期に公的機関により職場規律の乱れが国鉄崩壊の重要な一因として指摘されたことの反省に立ち、新たに正常な職場規律の維持、確立を目的として新就業規則を制定、施行し、その職場規律の一環として、全社員に対し、就業時間中における組合バッジの着用を禁止した。そして、原告は、右禁止の趣旨、内容を繰り返し周知、徹底するとともに、組合バッジの着用禁止に従わない場合における不利益処分の可能性を通告し、各管理者も個別に注意、指導を行ったにもかかわらず、参加人ら組合所属の一部組合員がこの指示に従わなかったため、同人らに対し、本件処分として厳重注意を与え、訓告を行うとともに、賃金規程一四五条に基づき、夏季手当について本件減額措置をとったものである。
本件の判断に当たっては、単なる抽象的一般論ではなく、とくに職場規律の乱れが厳しく批判された国鉄の破綻を教訓として、正常な新職場規律の確立、維持に努める原告の全社的努力の実態及びその必要性にかかる具体的事情が十分に考慮されるべきである。
本件の実態は、到底、労働組合の運営に対する支配介入などといえるものではなく、被告の判断は、本件の実態を不当に歪曲し、本末転倒した偏った視点及び認定に立脚するもので、労働組合法七条三号の不当労働行為の成否に関する判断を誤ったものである。
(二) 本件命令は改革法の定め及び制定趣旨を無視したものであり、不当な先入的偏見及びこれに基づく誤った証拠判断によるものである。
原告とその社員との間における労働契約関係が国鉄との間におけるそれを承継したものでないことは、改革法二三条の規定に照らし明白である。したがって、原告は、国鉄時代の職場規律、就業規則に拘束されることなく、独自の立場で新たな就業規則を制定し、新職場規律を確立、維持する義務及び権限を有するものであり、原告における新たな就業規則の制定は、「国鉄就業規則の変更手続」などといわれる実質にはない。本件命令には、改革法制定の背景にある国家的要請及び同法の法理を無視して原告があたかも国鉄の延長的存在であるかのようにいい、不当に国鉄当時の乱れた職場規律を援用し又はこれと対比する点等において明らかに誤りがある。
(三) 就業時間中の組合バッジの着用禁止の措置は、原告の就業規則二〇条三項「社員は、勤務時間中に又は会社施設内で会社の認める以外の胸章、腕章等を着用してはならない。」、二三条「社員は、会社が許可した場合のほか、勤務時間中に又は会社施設内で組合活動を行ってはならない。」、三条「社員は、会社事業の社会的意義を自覚し、会社の発展に寄与するために、自己の本分を守り、会社の命に服し、法令、規程等を遵守し、全力をあげてその職務の遂行に専念しなければならない。」と規定されているところに基づくものである。この就業規則は、昭和六二年三月二三日、原告の創立総会後に開催された取締役会において作成、承認され、新会社たる原告の発足に際して、その社員がこれを閲覧しうるよう、国鉄を通じて関係各現業機関へ配付され、原告が発足した同年四月一日には、いずれの現業機関においても各詰所にこれが備え付けられて社員が自由に閲覧しうる状態におかれ、さらにその旨が始業点呼、掲示等によって社員に周知され、その遵守が求められた。そして、とくに服装整正に関しては、同年三月二三日付け「社員への『社員証』『社章』『氏名札』の交付等について」と題する設立準備室名の事務連絡により、新会社発足直前にその新規律策定の責任者たる右準備室が就業規則の運用を明確にするため具体的指示をなし、新会社の社員となることが予定されているすべてに周知する措置をとったのであって、これは新会社たる原告の全社員に対する一般的措置である。
このような新会社たる原告発足当初の服装整正にかかる注意・指導に対し、大部分の社員はその指示に従い、服装の整正は遵守されたが、本件組合員らを中心とする一部の社員がこれに従わない状況にあったので、原告は重ねて点呼、掲示、個別指導等により、国鉄と異なる新会社における規律維持の重要性を訴え、その取り外しを求めて注意、指導を行った。その結果、本件における参加人ら組合所属の一部組合員等を除く大部分の社員は、その趣旨を理解してよくこれに協力し、国鉄時代とは一線を画した新職場秩序が形成され定着している実情にある。
本件組合員らは、改革法により新たに設立された新企業体たる原告の社員として採用された以上、原告が新たな決意のもとに確立、維持しようとする職場規律を遵守すべく努めることは、法理上はもとより社員の正常な常識からみて当然であるにもかかわらず、一部少数の本件組合員ら(昭和六二年四月一日原告会社発足当初において既に着用者は全社員の約五パーセントにすぎなかったが、現時点においては着用者は更に減少し、確信的違反者は約二パーセント残存するにすぎない状態になっている。)は、他の社員がほとんどすべて就業時間中の組合バッジ着用禁止にかかる就業規則の定めを遵守して勤務している職場規律の現状を知りながら、あえて参加人ら組合の指示に従い、右規律に従わず、その後の度重なる管理者の注意、指導をも無視したことから、本件措置がとられるに至ったにすぎない。
右のとおり、本件措置は、所属組合のいかんと関係なく、職場規律にかかる就業規則の定めを一律、公平に適用した結果としてなされたもので、被告の主張する支配介入の不当労働行為を構成する余地はない。
(四) 原告は、点呼、掲示、個人面談等の機会に、その管理者をして就業規則所定の職場規律を遵守するよう周知させ、これに違反した場合における不利益措置の可能性をも示唆して、個々の社員に再三にわたって注意、指導を行ったが、これは、可能な限り本件のような措置をとらないですむよう配慮したからにほかならない。しかも、各職場における原告の管理者による注意、指導は、原告会社発足の当初から行われ、とくに、違反者に対する不利益処分の可能性の警告も、本件命令が認定する昭和六二年五月二九日に先立ち同年四月当初から繰り返され、とくに四月二〇日頃には、各職場において、就業規則の該当条項(組合バッジ着用禁止にかかる三条、二〇条、二三条及び懲戒規定である一四〇条、一四一条等)の抜粋等が掲出され違反者に対する警告さえ示された。
また、新職場規律確立に関する権限は、社員に対する関係においてもっぱら原告に属し、その就業規則が適法に制定されている以上、権限の行使についてとくに組合と協議する必要はなく、現にいずれの組合とも協議を行っていない。
したがって、原告が「申立人ら組合と団体交渉を行わず」などという本件命令の指摘は、法的論拠を有しないものであり、また、原告は社員に対し、昭和六二年四月一日発足当初から不利益処分の可能性をも示唆して、注意、指導を重ねたのであるから、「性急に過ぎ、妥当性に欠ける」などといわれる余地はない。
(五) 新会社発足後、本件処分に至るまでの間における違反者をみると、その大部分が参加人ら組合所属社員であった。すなわち、八万名を超える全社員のうち、本件組合員らを中心とする全社員の約五パーセントにすぎない者が、職場規律確立のための全社的努力及びその成果を無視し、あえてこれに反抗し、勤務時間中においても、組合の指示に従い、国労の団結のシンボルであるとして本件組合バッジを着用して就業規則の定めに違反し、しかも、原告の度重なる指示を無視してその抵抗を継続し、職場秩序を乱したのである。
そのため、原告は、再三にわたる指示に従わないで右違反行為を継続した者(具体的には、調査期間において一定回数以上取り外しの注意、指導がなされたにかかわらずこれに従わなかったことの現認記録がある者)に対し、厳重注意の措置をとり(就業期間内の組合バッジ着用禁止の指示に違反するにとどまらず、原告の管理者による注意、指導に対し暴言を吐く等反抗的態度の強かった者に対しては、訓告の措置がとられた。)、また、賃金規程上勤務成績が良好でないとされる者(調査期間中一定回数以上取り外しの注意、指導の記録がないため厳重注意の対象外となったが、就業期間中の組合バッジ着用継続の現認が記録されている者を含む。)については、同規程一四五条一項、三項に基づき、期末手当の減額を行ったのである。
なお、参加人ら組合所属組合員であっても、他の社員と同様に同規律を遵守すれば、組合所属のいかんにかかわらず本件のような不利益を被らないものであり、本件措置の対象者はその不利益を予見しながら規律違反行為をあえてしたものである。
本件命令は、本件措置の「理由及び処分等の基準の運用において、」「妥当性に欠ける面が見受けられる」として、当初は組合バッジを着用していたがその後取り外した者も本件における処分の対象とされていること、処分がなされなかった者に対しても昭和六二年夏季手当が減額支給されていることを指摘する。しかしながら、就業時間中における組合バッジ着用者に対する処分は一定回数以上の注意、指導にかかる現認記録を前提としてなされており、したがって、本件にかかる調査期間(昭和六二年四月一日から六月四日まで)の中途で組合バッジを取り外した者であっても、一定回数以上の着用の現認がある以上、処分は不可避であるし、また、取り外し注意の現認記録回数が所定以下の社員であっても、着用の事実が記録上明確な者については、期末手当査定にかかる事情として、これが考慮されることは当然である。
(六) 服装整正にかかる職場規律違反者の大部分が参加人ら組合所属の社員となった現実は、他の労働組合においてはよく国鉄改革の趣旨を理解し、所属組合員が分割民営後における新職場秩序の形成について協力的であったのに対し、参加人ら組合はこれと異なる立場をとったことによって生じた結果である。動労、鉄労所属の社員は、新会社における職場規律確立の重要性を認識し、国鉄当時の状況と関係なく新規律を遵守するよう努め、就業時間中における組合バッジは、「新会社発足以降は完全に着用しなくなった」のに対し、一部の国労組合員(本件措置時点において全社員の約五パーセント、国労全組合員の約一〇パーセント)は、教条約な組合指導に追随して、国鉄当時の状況ないし既得権を援用、主張して、原告の指示を無視し、確信的に職場規律違反行為を継続したのであって、その結果が前記の状況となってあらわれているのである。したがって、たまたま違反者の実態がこのような結果になっていることをとらえて、就業時間中の組合バッジ着用禁止の職場規律が「国労組合員だけとなったことを奇貨として」、参加人組合の弱体化を意図した支配介入行為であるなどとする本件命令の判断は、およそ客観的、合理的事実認定を放棄した本末転倒の判断であって、明らかに誤りである。
(七) なお、本件命令が「国労を嫌悪し、国労に対して攻撃的な言辞を用いる」などという点については、本件はまさに職場規律の問題として対処されているのであり、しかもその内容は原告が遵守を求める職場規律に対してことさらこれに対抗、反抗することの不当性を指摘してその遵守を求めているものにすぎず、このように規律遵守にかかる管理者の言辞をとらえて「国労嫌悪」の表象であるかのように認定する本件命令の判断は、事案の実態を無視した不当なものである。
2 本件職場規律の適法性
(一) 本件命令は、「組合バッジの用法は、もともと組合員らの当該組合所属を表象するものに過ぎず、この点積極的な抗議意思とか要求事項を表示するリボン・ワッペンの着用とは用法を異にするものであ」り、「組合バッジを着用して勤務することによる業務上の直接具体的な支障等に関する疎明はなされていない。」とか、「組合バッジを組合団結のシンボルであると主張する国労の組合員は、積極的な組合活動の表象として国労バッジを着用するというより、むしろ、主として国労の組織防御上の見地からやむを得ず着用するという、いわば追い詰められた事情にあったことが窺われる。」から、「組合活動として行われている面がみられる」が、「その着用行為を通常の組合活動と同視することについては、疑いを抱かざるを得ない。」などという。
しかしながら、原告の職場においては、とくにその職務の性質上、所定の制服を着用してその労務を提供すべきことが定められていることは公知の事実に属し、その一環として、就業時間中における本件組合バッジの着用は原告の就業規則における服装整正の定めに違反することとなるのみならず、さらに、本件組合員の所為は、業務上の指示に対し抵抗を継続する点において一層不当なものであり、とくに、参加人ら組合は本件組合バッジの着用を組合の立場から指示し、これが団結を昂揚するためになされるものであると公言していることに照らせば、本件組合バッジの着用は、就業時間中の組合活動として、就業規則二三条はもとより、原告と国労との国における労働協約にも違反するのであるから、本件命令の前記判断の不当性は明らかである。
(二) 原告において、就業時間中の組合活動の禁止が、就業規則はもとより、国労東日本本部との間における労働協約においても明確に規定されているにもかかわらず、参加人ら組合所属の一部組合員があえて頑強に職場規律違反行為を継続する背景についてみれば、参加人ら組合は、かねて国鉄改革に反対する基本的態度を堅持し、民営の新企業体として原告が発足した後に至っても、なお「分割民営化反対」を標榜して、新会社たる原告の経営施策に非協力の態度を維持し、原告の施策に抵抗してこれと対立する状況にあったことは公知の事実であって、本件にかかる職場においても、日常的に、原告の施策及び具体的業務指示等に対し参加人ら組合所属組合員による妨害及び反抗等が繰り返される状況にあった。そして、本件組合員らが組合の指示に基づき、各分会において執行委員を中心に討議、検討を行うなどして意思統一に努め、原告の指示にあえて反抗して本件組合バッジを着用したことは、国労組合員であることを勤務時間中に積極的に誇示する意味と効果を有するものであり、それが参加人ら組合の指示に基づき、就業時間中においてなされたとしても、およそ正当な組合活動などという余地はない。
(三) しかも、本件措置の対象となった就業時間中における組合バッジ着用の所為は、単に偶発的、一時的なものでなく、大部分(約九五パーセント)の社員が原告の就業規則を遵守し、就業時間中は組合バッジを着用しないで就労することが社内の職場秩序として形成、維持されるに至っているにもかかわらず、なお、原告の警告、指示を無視して、組織的、反抗的に反復、継続されたものであるから、このような事態において、原告が、定立された職場規律を維持するために、これを服装整正及び就業時間中の組合活動禁止の定めに違反する職場秩序紊乱行為として対処することは、企業秩序保持のために当然許容されるところに属し、これを「通常の組合活動と同視することについては、疑いを抱かざるを得ない」といい、「規律是正の域を超えた」などという本件命令の判断は誤りである。
本件における組合バッジ着用が、国労の団結を維持し、誇示する意図のもとにあえて就業時間中に行われていることが明白である以上、それが就業時間中の組合活動であり、就業時間中に許容される組合の正当な行為にあたらないことは当然である。
(四) 勤務時間中における本件組合バッジ着用行為により、規定の違反が成立するためには、現実に職務の遂行が阻害されるなど実害の発生を必ずしも要件とするものではない。とくに業務阻害の発生の存否に係わりなく職場秩序保持義務が存在する。業務遂行上の支障の有無を離れて職場秩序保持義務が存在し、これに関する就業規則違反が成立する。
一部の例外的少数社員によって公然と敢行される就業規則不遵守、指示違反は、本質的に業務の正常な運営を阻害するものであって、もしそのような実態が放置されて然るべきこととなれば、その影響は業務運営上大きく波及しうる。
四 被告の主張
本件命令は相当であり、維持されるべきである。
五 参加人らの主張
1 本件組合バッジ規制の経過と規制根拠の薄弱さ
(一) 本件組合バッジは、大きさ縦1.1センチメートル、横1.3センチメートルのもので、そのデザインはレールの断面に国労の略称である「NRU」を付した単純なものである。このような組合バッジは、国鉄時代において、国労のみならず動労、鉄労などの各労働組合を通じて、各組合員が自主的にその所属組合を表すものとして、職場内外で着用を続けてきたものである。これらの組合バッジについては、国鉄末期までを含め、その取り外しが問題となったことはなく、動労などの他組合も国鉄分割民営化の直前に至るまで組合バッジを着用し続けた。
国鉄当局が昭和五七年三月から昭和六〇年九月にかけて実施した第一次から八次の「職場規律総点検」において、組合バッジの着用は調査もされていないし、調査項目の中に触れられてもいない。右第一ないし八次の調査点検項目には「服装の整正に関する点検項目」が挙げられているが、このなかで服装関係で触れられているのは、腕章、リボン、ワッペン、氏名札及び保護具の着用についてのみである。
国鉄は、昭和六一年三月五日に個々の職員を評定する「職員管理調書」を作成した。この調書は、職員の評定に基づき新会社への振り分けを行う際の資料とするために作成されたものである。その調書においても、組合バッジの件は全く触れられていない。評定事項の「服装の乱れ」の項目では「リボン・ワッペン、氏名札、安全帽、安全靴、あご紐、ネクタイ等について、指導されたとおりの服装をしているか」とされているのみで、組合バッジについては全く記載がない。「勤務時間内の組合活動」の項目では、服装に関する事項は「服装の整正」の項目において回答することとされており、ワッペンなども含め服装の整正の問題として把握していたことは明らかであり、その項目の中にも組合バッジは全く含まれていない。
以上から、国鉄当局は、組合バッジについては「服装の整正」ないし「時間内組合活動」としては全くこれを把握していなかったものである。
(二) 国鉄は、昭和六二年四月一日の分割民営化に伴い、分割民営化に反対の方針をとっていた国労に対し、その活動を封ずるため、国労組合員を「人材活用センター」に収容し、国労においては新会社へ残れないとの攻撃をかけて脱退工作を行い、原告においては定員割れの事実があったにもかかわらず国労活動家を新会社へ不採用とし、新会社への移行にあたって昭和六二年三月には大規模な配属差別を行い、職場から役員クラスを放逐するなど、国労に対する各種の不当労働行為を繰り広げてきた。このような各種攻撃が引き続く中で、分割民営直後から本件のバッジ取り外し攻撃が開始されたのである。
(三) この組合バッジ攻撃の根拠とされたのは、原告を含む新会社の就業規則であるが、この就業規則制定の過程は次の経過をたどった。すなわち、原告の就業規則の原案は、国鉄が設置した東日本旅客鉄道株式会社設立準備室によって作成された。設立準備室は原告を含め九つの承継法人ごとに昭和六一年一二月三日国鉄本社内に設置され、この準備室が就業規則案を作成し、これには国鉄の職員局労働課も関与した。そして、その就業規則の冊子は、国鉄の労働課より各地区あてに国鉄組織を通じて配布された。すなわち、JR各社のために、実質上国鉄が国労等との労使関係をふまえてこの就業規則を作成して配布したことになる。
昭和六二年三月二三日に原告の設立総会が開催されたが、同日、国鉄の機関である設立準備室は「社員への『社員証』『社章』『氏名札』の交付等について」と題する事務連絡を国鉄の東日本地区各機関あてに発している。この事務連絡の中に、社員証・社章・氏名札を交付する際の記載として、「4 競合と対応方 (一) 組合バッジとの競合組合バッジをはずさせるとともに、社章を着用させること」との記載がある。これが国鉄時代に唯一「組合バッジ」と明確に指摘してそれをはずさせることを明記した最初で最後の文書である。この文書においては、文脈上、組合バッジの記載についてはいわゆる社章との「競合」という形で記載されており、その競合については形の上では組合バッジのみならず国鉄時代の功労賞・特別功労賞にも及んでいたのである。しかし、功労賞等については実際にはなんらの取り外し指導もされなかったが、組合バッジについてはこれを根拠に取り外しが強要された。
しかし、このことは、国鉄時代の最終盤においても明確にバッジを取り外すこと自体を公言することはできず、その真の意図は別として、あくまで競合という形で組合バッジを問題とする以上のことはできなかったことを意味するのである。したがって、逆にいえば、新会社移行後も実際の取扱いにおいて組合バッジについて「競合」した場合についてのみ問題とするという処理も本来可能であったのである。
しかし、実際に現場では、この事務連絡をも根拠に、昭和六二年四月一日からバッジ取り外し攻撃が行われた。その形式的な表現にもかかわらず、後記の東鉄労などへの組合バッジ取り外しの申入れと合わせてみれば、この事務連絡において国労に対するバッジ取り外し攻撃の意図が存在したことは明らかである。
(四) 以上の新就業規則の制定過程において、組合バッジの問題については、国労への申入れの事実はなかったにもかかわらず、東鉄労に対しては申入れを行っていた。このように対立組合である一方の東鉄労に対して申入れをしていることは少なくとも自らの影響力のある場合に関しては、この組合バッジ着用の問題は労使協議の必要な事項であることを当局は十分理解していたことを示すものである。
そして、この申入れを受け、あらかじめみずからの昭和六二年四月一日付けの機関紙にて「着けよう鉄道労連バッジ」と写真入りで各社の鉄道労連バッジの着用を呼びかけてきた東鉄労を含む鉄道労連は、直ちに対応し、組合バッジを取り外した。このようないわば抜き打ちともいえる状況に国労組合員を追い込んでおきつつ、同年四月一日から直ちに国労組合員に対するバッジ取り外し攻撃が開始されたのである。
(五) このような状況を察知した国労東京地本は、昭和六二年三月三一日指示第一六〇号「当面の諸対策について」の中で、新就業規則による「『JRバッジの着用等の押しつけ」が予想されるとし、そのなかで「国労バッジは全員が完全に着用するよう再度徹底を期すこととする。」旨の指示を出した。この指示は、以上の新就業規則制定による「JR」バッジの押しつけなどで現場で混乱の生じることを懸念した国労機関が発したものであるが、統制処分の対象となるストライキの指令や闘争時に着用されるリボン・ワッペン等の着用指令とは性格が異なるものである。
(六) 昭和六二年四月一日に新会社である原告が発足したが、原告は早くも四月七日に組合バッジについて、下部機関を通じて大々的な調査を命じており、四月七日付け本社人事部勤労課嶋副長名の文書で、社章、氏名札、組合バッジの着用パターンごとの報告を各現場に指示している。この調査期間は四月一日から七日までとされており、この報告のまとめによると、組合バッジ着用者は五六四五名で、国労組合員がその殆ど(五六三四名)を占め、その余は国鉄分割民営化に反対していた動労総連合(七名)及び全動労(四名)の組合員であった。この分割民営直後からの「調査」なるものは、実際には取り外しの強要の組織的な開始に他ならなかった。
この「調査」については、本社指示のものとは別に、東京圏運行本部において独自に、四月一日以降毎週にわたって繰り広げられた。
(七) 同年四月二〇日には、本件人事部勤労課名の事務連絡が発せられ、「組合バッジ着用者に対しては服装違反である旨注意を喚起して、取り外すよう注意・指導すること、その際の注意等に対する言動を含めた状況を克明に記録しておくこと」等との、組合バッジ取り外しの具体的な指令が発せられた。四月二一日には東京圏運行本部の人事課・勤労課両課長名で同趣旨の事務連絡が発せられている。
更に、四月二三日には、本社人事部嶋副長名で再度の着用状況の調査が指示され、四月二八日には東京圏運行本部人事課・勤労課両課長名で、組合バッジ着用等についての個別把握を指示している。その調査結果によると、組合バッジ着用者は二七九八名と前回調査より減り、その内訳は国労が二七九〇名、全動労が八名という結果であった。この四月のバッジ取り外し攻撃が効果を奏し、バッジ着用者は半減したのである。
そして、五月二一日には本社人事部勤労課長名で、「強力に」「注意指導の徹底を行う」とする事務連絡が発せられ、五月二八日には人事部長名で「服装違反者に対する方針について」との事務連絡が出され、このなかで「社員に告ぐ」との掲示の案文を示し、「組合バッジ等を着用して勤務した者に対しては、厳正に対処せざるを得ないことをここに警告する。」との会社の処分に向けた方針が示されるに至った。
(八) このように就業規則を楯に本件組合バッジの取り外しが現場で命じられている一方で、この就業規則について事業所ごとの組合からの意見聴取が行われたのは四月中ごろからであった。これについての東鉄労の意見は全面的に賛成というものであった。国労が各事業所ごとに提出した就業規則案についての意見は、組合バッジの規制についてこれが労働基本権、表現の自由の観点から許されないこと、本件に関連する具体的な条文に関しては、就業規則二〇条についてはその削除を、二三条については法令に基づく正当な組合活動の権利及び基本的人権の発想については妨害しない旨の明示を求めた内容であった。しかし、原告は就業規則について国労の意見を聞き入れて少しでも手直しをすることは全くなかった。
(九) 昭和六二年六月一二日、本件処分が発令された。処分者の人数は、原告全社において約四八七〇人であり、このうち約二一〇人は訓告、約四六六〇人は厳重注意であった。
本件命令の処分に関する救済の対象となったのは、以上のうちの国労横浜支部、国府津支部所属の組合員八六三名(別紙組合員目録1)についてであり、その内訳は訓告三三名、厳重注意八三〇名である。
更に、原告は、同年七月三日支給の夏季一時金について、前記処分を受けた八六三名のうち、組合専従である久保沢組合員を除く八六二名、及び前記六月一二日の処分を受けていない五五名の組合員(別紙組合員目録2)合計九一七名について、同年四月一日から五月三一日の間における勤務成績が良好でないとして、支給額の五パーセントのカット(減額)を行った。これによるカットの総額は二〇一六万九二七六円に及ぶ。
これ以降も、本件組合バッジに対する取り外し攻撃は現在に至るまで続いている。このうち昭和六二年冬季以降平成三年までの処分、一時金カット及び昇給の一号減俸について、被告は平成六年七月二九日救済命令を発し、額にして一億二八〇〇万円の差別の救済を命じた。
2 バッジ攻撃の異常性
原告の各現場において繰り広げられたバッジ取り外し攻撃は、次のとおり常軌を逸したものであった。
(一) 横浜駅の例
横浜駅においては、昭和六一年頃まで国労が組合員の六五パーセントを占めていた。しかし、同年三月頃から国労に対する顕著な脱退工作が開始され、同年九月頃からは、国労組合員に対して担務変更が行われ、職場に影響力を持つ国労組合員をもとの職場から排除することなども行われるようになった。こうした中で組合員が国労を脱退し、昭和六二年四月の分割民営化時には国労組合員は組合員有資格者の二七パーセントにまで低下した。
分割民営化直後から本件組合バッジに対する攻撃が開始され、他職場と同様に、新会社発足の際の社章交付の際に制服の襟に社章を付けるかわりに同バッジを外すように言われることから始まり、点呼時の指示、仕事中に呼び出す、改札などで乗客の目の前で「外せ」と言ってつきまとうなど、あらゆる方法で攻撃をかけてきた。このため、昭和六二年四月中旬にはバッジ着用者は副分会長一人となった。昭和六二年五月頃からは攻撃をエスカレートさせ、国労マーク入りのネクタイ、ネクタイピンについてまで取り外しを強要するようになった。
同年五月二八日に東京要員機動センターから横浜駅に赴任してきた住吉正人(別紙組合員目録1の番号302)は、赴任挨拶の日に助役、駅長から本件組合バッジ、国労マーク入りネクタイを外すよう強要された。制服の上着を着用しない同年六月になり、住吉が国労マーク入りのネクタイ、ネクタイピンを着用すると、原告はこれに対しても取り外しの強要を行った。同年九月一四日からは更に攻撃はエスカレートし、住吉は本来のホーム要員としての仕事を取り上げられ、同月二五日までの各勤務日に、午前九時頃から午後五時頃まで就業規則の書き写し等を命じられた。同年一〇月一日、住吉がバッジを外さなかったところ、助役から業務否認を通告され、就労を拒否されたが、後に業務否認は撤回された。
(二) 鎌倉駅の例
鎌倉駅においては、原告会社設立直後に、管理職が国労組合員に社章、氏名札等を交付する際、組合バッジを取り外した位置に社章を付けるよう指示を行っている。その後、国労以外の他組合員がバッジを外した昭和六二年四月下旬になり、人事課や勤労課からの事務連絡が矢継ぎ早に関係各機関の長等に対して出され、処分を前提とした本件組合バッジ着用に対する激しい攻撃が行われるようになった。
同年五月の連休明けから、勤務中に駅長室に国労組合員を個別に呼び出して缶詰にしたうえ、一人あたり約三〇分から四五分にわたって駅長と助役一、二名で取り囲んで、「バッジを外せ」と執拗に延々と強要するようになった。そのほか、改札のラッチの中で切符を切っている国労組合員のところへわざわざ行ってバッジを外せと何度も注意するなど、嫌がらせ的な攻撃も加えられている。また、毎日点呼や巡回でバッジを外すよう注意指導するだけでなく、強制配転させるぞと言われた例、バッジを外さないということで希望の職場を外された例等もある。更に本件組合バッジに対する攻撃はエスカレートし、ネクタイ、ネクタイピン、ボールペン等についても国労マークがついている以上外せとの強要が行われた。
(三) その他の現場の状況
中原電車区では、国労組合員運転士に対する始業点呼の際に、管理者が安全運転のための注意事項を述べず、乗務手帳に印鑑を押さずに組合バッジの取り外しを執拗に指示したり、ときには一人の運転士に対して四人の管理者が取り囲んで組合バッジ取り外しを指示するようなことも行われ、また、始業点呼の際に、運転士が組合バッジを外さないと、管理者が運転席に同乗して、運転業務中の運転士に対して組合バッジの取り外しを指示するということまで行われた。また、組合バッジ着用を理由にした処分通知をする際においても、休暇をとっていた組合員の自宅に助役二名がタクシーで訪れ、母親らのいる前で処分通知を読み上げたという例や、組合員が通院中の病院に管理者が訪れ、処分通知を渡した例などもある。
桜木町駅では、点呼の際、全員のいるところで組合バッジを外すように言われたり、その際取り外しに応じない者については、一人一人駅長室に呼ばれて外すように言われた。また、駅長が、様々な機会に、組合バッジを取り外さなければボーナス、昇給においてペナルティーがあるなどと発言し、改札作業中やホームでの立ち番の業務中にバッジ取り外しを言われたこともあった。桜木町駅でも、他の現場と同様、組合バッジのほか国労マーク入りのネクタイ、ネクタイピン、ボールペンについても取り外すように言われている。ほかにも、会議室で一人で就業規則を読まされたうえ感想文を書くようにと指示された組合員もいる。
小田原電力区は、駅などの営業職場と異なり、顧客に接することは事故等の例外的な場合以外はない職場であるが、国鉄分割民営直後から、バッジ着用者に対し毎日朝の点呼で個別に外せという攻撃がされ、外さないでいると区長と助役が二、三名で取り囲み、大声で「外せ」と迫り、一日三回注意して外さなければ上に報告するなどと恫喝したこともあった。平塚電力区では、平成元年頃六回位にわたり、バッジの取り外しに応じないでいる二人の国労組合員に対し、就業規則の書き写しを命じている。また、机の上においてあった組合の刊行物、国労マーク入りボールペン、国労手帳など、国労と目につくものはすべて目に見えないところにしまえと強要された。
要員機動センターは、国鉄末期に設置された職場で、名目上は波動的な要員、一時的な欠員、年休の対応など(いわゆる助勤)に応ずるため設置されたものであるが、実際にはそこに配属された職員は国労活動家がほとんどであり、国労対策の色合いの濃い職場である。要員機動センターにおける本件組合バッジに対する攻撃は、そこに所属している組合員がいわゆる活動家であることから、厳しいものではなく、せいぜい管理者が助勤先の見回りの際に注意する程度である。しかしながら、助勤先または見習先でそこの管理者から組合バッジを外すよう言われることは数多くあり、助勤先の駅長からバッジを外さなければ勤務を否認するとして要員機動センターに帰るよう言われ、その後就業規則の音読を命じられたり、バッジを外すよう言われ、仕事を午前中与えられなかった例がある。
その他の職場でも、駅の出札・改札・ホーム職員、売店などの事業部で働いている者など旅客に接する部署の組合員に対し、仕事中にわざと旅客のいる前でバッジを外せと何回も注意する、バッジ着用により解雇されるとか、出向、配転等を命ずるとか、担務を変更するとか、社宅に入れないとか、試験に落とす等の不利益処遇の脅しをかける、組合バッジを着用しているというのは就業規則をよく理解していないと称して仕事を外し、一日中就業規則を読ませたり、書き写しをさせたり、反省文を書かせる、また反省が足りないということで業務否認をかける、駅長室に呼び出し、または複数の管理職で取り囲んで本件組合バッジを外せと怒鳴る等して威嚇する、国労マークが入ったネクタイ、ネクタイピン、ボールペン等の取り外しを強要する等の常軌を逸したところまでエスカレートしている。
3 本件措置の不当労働行為性
(一) 勤務時間中の本件組合バッジ着用は、国鉄当時から行われてきており、これまで利用者から何らの苦情もきていない。また、具体的な業務を阻害しないことは明らかであり、接客業務とは全く関係ない職場にも及ぶ全面的な禁止措置である。
本件組合バッジを含む各組合のバッジについては、ワッペン型とされていた大型バッジを除いて、国鉄時代問題とされてこなかった。国鉄時代とJR時代において、分割民営を経て経営体が変わっているとしても、その業務の内容は全く同じである。その同じ業務において、昭和六二年四月一日以降、組合バッジを禁止する根拠が急に生じるとは全く考えられない。国鉄当局としては、長年にわたり、組合バッジの着用について、組合及び組合員にその取り外しを求めたことはなかった。まして処分は行われて来なかったというのが現実である。
新会社になっても、鉄道業務は従来同様継続して行われたのであり、バッジ着用を規制することについて、何らの特別の事情が発生したわけでもない状況において、新会社において仮に就業規則二〇条三項、二三条のような服装規制条項、時間内組合活動規制条項がおかれたとしても、この条項を組合バッジには適用しないという、国鉄時代と同様の運用を行うことは当然可能であった。
(二) 本件組合バッジは組合の略称とレールの断面をデザインしたものであり、小さく目立たない。闘争時に着用されるリボン・ワッペンと異なり、なんらのメッセージを表示するものではなく、闘争の手段でもない。この組合バッジはその者が組合に所属することを表示する以上の何ものの機能も有しないものである。
このような本件組合バッジの着用が、業務上何らの支障が起きないにもかかわらず、あえて規制を行うこと自体、原告の規制措置の根拠のないことを表わすものである。そのことは本件措置の真の目的すなわち国労の団結自体の否認を推認させる根拠となると考えられる。
このように何らの実害を有しない本件組合バッジについて、前述したような異常ともいえる攻撃を原告が行ってきているのは、それが国労の組織を否認し、組合の存在自体を職場から抹殺することを目的としていることは、本件当時の労使関係から明らかである。
本件命令も指摘しているとおり、当時の国鉄・JRをめぐる労使関係は、現在に至るまで異常な「国労つぶし」の大合唱にあけくれている状況であった。その基本的状況は現在に至るまで変わっていない。
(三) 本件について、原告はバッジ規制の根拠は就業規則二〇条三項、二三条、三条違反であるとしている。しかし、その就業規則の条文の指摘は単なる「口実」にすぎず、その本質は全面的な国労に対する組合存在の否認であることは明らかである。
原告が問題としているのは、服装規程違反などではなく、国労マーク自体なのである。それが本件組合バッジであれ、国労マーク入りのネクタイであれ、ボールペンであれ、その使用という行為によって外形的に現れた組合員の団結意識こそが許容できないというものである。現に就業規則二〇条三項には、ネクタイやネクタイピンなどの規定はない。
現場の管理者の発言、国鉄分割民営化前後の国労を嫌悪する国鉄当局、JR首脳部の発言からみても、本件組合バッジ取り外しの真の口実が「国労マーク」自体を問題としていることは明確であり、その目的が組合員の「組合意識」であることは明らかである。この攻撃は、職場から国労組合員であることの表示自体を抹殺し、組合員としての意識・思想を排除することが目的である。
組合バッジの着用行為は、憲法二八条に定められた団結権の行為の一態様である。その取り外しを命ずること自体、何らかの正当な理由を見い出されない限り不当労働行為であるとの推認を受けてもやむを得ないのであり、本件においてその正当な理由は全く主張も立証もされていない。
(四) しかも、この組合バッジの禁止の行われた昭和六二年四月以降は、通常の場合に増して国労及び組合員らにおいて組合バッジを着用する必要は極めて高かった。本件組合バッジについて処分が行われた時期は、新会社発足に伴い、新会社への「採用拒否」、配属差別、出向、脱退強要などの今日に至る不当労働行為攻撃が怒濤のごとく進行していた時期である。かかる時期においてこそ、国労がその組織を防衛する必要性は極めて高かった。組合バッジが団結のシンボルとしてその意義を有することは当然であり、その点において、本件命令が「申立人国労ら組合員の組合バッジ着用行為は新会社発足に伴い脱退勧奨や他組合からの切り崩し攻撃などに対応するために防御的になされた面が窺われる。」としたのは、極めて正当な評価といわなければならない。
(五) また、国鉄当時、国労も含め、動労、鉄労など各組合が組合バッジを制定し、各組合員が着用しており、それは国鉄末期まで及んでいた。ところが、国鉄から新会社に移行した直後、現場により時期は違うが、一斉に他労組組合員が組合バッジを外し、それとほぼ期を一にして、本件組合バッジの取り外し攻撃が開始されている。
その時期に制定された本件就業規則が、形式的にはすべての新会社社員に適用されるような形式をとっていたとしても、実質的には国労以外の組合員が着用していない状況のもとでは、実際には国労組合員にのみ適用されることは明らかであった。
しかも、組合バッジについて禁止措置を行う前に、少なくとも国労と何らかの協議を経た事実はない。これに対し、国労と対立し当局と癒着する東鉄労に対しては、分割民営化の直前に組合バッジの問題について申入れをしている。一方の当局と友好関係にある組合に対しては、事前に分割民営後は組合バッジについて禁止措置をとることを申し入れ、他方の対立関係にあった組合に対しては、突然規制措置を開始するという姿勢自体、使用者の中立という観点から見ても、不当労働行為といわざるを得ない。国鉄時代何らの規制措置も取られてこなかった組合バッジの取扱いについて急に取扱いを変更するのであれば、その理由等について組合と話合いをすることが必要である。それをせずに行われたバッジの禁止措置は、まさに組合バッジを着用しているのが国労組合員だけとなったことを『奇貨として』行われた国労に対する打撃を与える措置であり、右のとおり認定した本件命令は、極めて当然の事理を明らかにしている。
(六) 昭和六二年四月一日からは一応名目上は「調査」期間とされ、人事部勤労課名で「組合バッジ着用者に対しては服装違反である旨注意を喚起して、取り外すよう注意・指導すること、その際の注意等に対する言動を含めた状況を克明に記録しておくこと」等服装違反であることを明確に指摘した文書が出されたのは四月二一日の段階であった。それにもかかわらず各現場で取り外しの攻撃がされているのは四月一日以降直ちにであり、また処分の対象となっているのは、四月一日以降すべてにわたっている。
また、全く又は殆ど注意・指導を受けていないで本件措置を受けた者が多数存在する。また、注意・指導を受けたが、四月一日から間もない段階で取り外した組合員についても、処分が行われている。また、取り外せば処分はない旨管理者から言われ、不本意ながらこれを取り外した組合員についても処分が行われている。また、処分がなく、一時金カットのみなされた組合員については、処分以外のカット理由自体が明確にされなければならないが、これについても全く個別の主張はされていない。
各自の処分事由も問題であり、単に組合バッジを着用していたこと自体が処分の理由ではなく、たび重なる注意・指導、あるいは暴言等があったからこそ、本件措置がなされているとされている。具体的には単に着用していたことが処分の事由ではないのであるから、この繰り返しの注意・指導、暴言の事実について、原告は具体的な主張・立証を行うべきである。
(七) 本件措置は、処分当時就業規則二〇条三項の服装整正違反を根拠としてなされ、その後本件の事件進行により二三条などの他の根拠法条を持ち出してきているものである。本件が就業規則違反を根拠とする処分であるというのであれば、処分の根拠となる事由、適用法条自体は当初から明確になっていなければおかしい。個々の現場においても、多くは「服装の整正」が規制の事由とされ、しかもバッジと明確に述べなかった例も多い。このように本件措置の根拠法条が不明確なまま本件措置が強行されたことは、本件命令が指摘するとおり、本件措置の異常さ、性急さを表しているものである。
また、国鉄時代バッジについて規制が存在しなかったもとで、新たな就業規則が制定されたとしても、その新就業規則の周知徹底が十分されていたとは到底いえない。実際には各現場において四月一日以降直ちに取り外しの攻撃がされた。また、周知の程度も、全従業員に徹底されていたといえる状況にはほど遠い状態であった。
(八) 他のJR各社に比べて原告の本件組合バッジに対する対応は異常に際立っている。同バッジ着用に対し、殆ど一律に訓告処分を発令し、期末手当を必ず五パーセント以上減額し、その訓告処分を昇給減・昇進欠格とも機械的に結びつけて、大きな不利益を課し続けているのは、JRグループの中でも原告だけである。
このように、同じ国鉄分割によって生まれた会社でありながら、また同じ組合バッジでありながら、JR各社の取扱いは異なっており、このことは原告のいう職場秩序維持の必要性なるものが、いかに理由のない恣意的なものかを意味している。このように、職場秩序の維持の必要性・処分の必要性がJR各社によって異なる理由は、原告においては、国労の組織率が他社に比べて高いということのみであろう。このことは、職場秩序の維持なる口実が、国労対策、国労への組織的介入の必要性を表していることを意味している。
(九) JR各社が組合バッジの勤務時間内着用に対して処分や一時金減額・昇給減等を行ってきたことの不当労働行為性については、各地の地労委命令によってその判断はすでに定着したものとなっている。本件命令の内容は、これらの地労委の各命令の流れ、判断内容に沿った極めて妥当な内容の判断をしているものである。
4 「組合バッジ着用」の法的性格
(一) 民間会社において、組合に所属する者がその所属を表す組合バッジを着けて就労することは、一般に決して珍しいことではない。神奈川県近辺の各私鉄の組合員らは就業時間中に組合所属を表す組合バッジを着用していることがあり、これについて使用者が取り外しを命じたり、不利益処分をしている例はない。諸外国においても、多くの国では、組合員がその所属を表す組合バッジを職場で着用しており、通常は特段これを問題ともされていない。その職員が「みなし公務員」とされていた国鉄においてさえ、長年にわたり、各職場において併存する組合の組合員らがそれぞれの所属を表す定型的な組合バッジを着用してきたものであり、そのバッジ着用が特に「職場規律是正」の対象にされて禁止された経過もなかった。
(二) その職場における実態面などからみると、組合バッジの着用は次のような意味を持つ。
第一に、通常に着用される組合バッジは、組合所属を表象することを目的としたもので、本来それ以上の意味はない。その所属を表す組合バッジを着用することは、着用者自身にとって、所属組合への愛着心、労働組合に所属していることの誇り、同じ組合に属している者への連帯感、「一企業一組合」などと称して組合所属の選択の自由を認めないような使用者のもとにおける職場での矜持の保持など、いずれの動機に出ようとも、労働組合に所属しているという自己同一性を示すものである。個々の労働者は、いうまでもなく憲法及び労働組合法等の保障する団結権の主体であり、自らの所属する労働組合を選択する自由があり、就業時間中もその団結権の主体である点において変わりがない。特段の合理的理由のない組合バッジの着用禁止は、団結権自体の存続を危うくするのであって、この意味で組合バッジを着用することの権利性は、「自分の所属は○○組合である」と名乗るのと同様、団結権自体の一部である。
これを労働組合の側からみれば、およそ労働組合は個々の組合員が組合に所属しているという形で団結権を行使しているからこそ存続しているものであるから、組合員の団結に関心があるのは当然であり、そうであるから、組合員に共通のバッジを作り、これを配付し、これが団結の保持のために役立つことを期待するのである。組合は、その本来の目的を達成するために労働条件向上要求を掲げたり、これを実現するための交渉を行ったり、場合によっては争議行為を行ったりするのであるが、組合員が団結を保持するということは、このような活動以前の問題であって、労働組合の存続にかかわる問題であり、組合バッジはその団結の保持のためのものである。
第二に、組合バッジの着用は団結権自体に基づくのであるから、使用者側にその被用者の団結自体と同様これを尊重するべき義務があるというべきであるが、更に、これをみだりに禁止しえない理由の一つとして、組合所属を表すのみのバッジが通常小さく、目立たず、また日常の業務に支障がないように作られていることがあげられる。
本来、労働者は、就業時間中においてもいかなる服装や付属品を身につけるかという服装の自由を有する。制服のある職場のように、これを業務上の必要性から使用者側が制限することはむろん可能であるが、その合理的な必要性を超えて、過度に制約することは許されない。
(三) 本件のような組合所属を示すのみの組合バッジの着用は、少なくとも伝統的な意味での「組合活動」ではない。第一に、かかる組合バッジは個々の組合員と労働組合のつながりを表象するのみであって、その着用は、対使用者であれ何であれ、組合が外部に働きかける活動を直接目標とするものではなく、外部に働きかけるような形状や意匠も持っておらず、業務遂行などに支障を与えるような性格がない。第二に、本件のように伝統的に着用されている組合バッジは、個々の組合員が愛着や連帯等の気持ちから身につけるものであって、組合が目標実現のための手段とするものではない。第三に、伝統的な組合バッジの着用は、その着用者の組合所属を示すのみであるが、当該労働者が現実にその組合に所属しているということ自体は、使用者にとって本来、利益でも不利益でもない。
このように、本件組合バッジ着用は、伝統的な意味の「組合活動」とはいえないものであって、伝統的な「組合活動」として語られてきた各種のものに比べれば態様としては極めてささやかなものであるが、これに対する介入行為の意味するところは伝統的な「組合活動」に対する介入に劣らず、あるいはもっと本質的に重要なものである。組合バッジ着用の権利性が組合員個々の団結権にあるということは、これに対する介入行為がもっとも根本的な組合攻撃であるということを意味する。
(四) 組合バッジの着用は団結権に基づく団結の表象であるから、労働組合が、特に存続の危機にある際には、団結の保持の観点からこれに関心を持つのは当然である。国鉄時代においては、本件のような組合バッジの着用は特に禁止も制限もされていなかったのであるから、当時、国鉄による激しい攻撃によって組織率が激減し、存続の危機に立たされていた国労が、従前着用されていた国労の組合バッジについて、「職場での学習・討議を深め」るなどして、団結の保持の観点から着用をより徹底するよう指示したところで、何ら非難に値することではない。また、本件組合バッジは、国労の指示によって初めて着用されるようになったわけではなく、昭和六一年九月よりはるか以前から各職場においてこぞって着用されてきたもので、この点は動労バッジや鉄労バッジと同じことである。
国労は、JR発足後の就業規則の内容について再三協議を申し入れ、ことごとく拒否されてきたうえ、原告が新就業規則を即時強行し、多年にわたって尊重されてきた組合所属を表示する伝統的な組合バッジの着用の権利をも奪い去ろうとしたので、国労東京地本は、現に組合バッジの着用がされている現場がこれによって混乱することをおそれて急遽指示を出したものである。
5 組合バッジの着用と就業規則
(一) 本件組合バッジは団結を表象し、その着用は団結権に基づくものである。これを着用して団結を保持しているとの理由で、組合員らに対し一斉に懲戒処分を行い、賃金を減額し、就業規則の全文書き写しを命じたり、社宅を貸与しなかったり、転勤上不利益に取り扱うなど多様かつ熾烈な不利益取扱いを行い、あるいはこれらを行うとして取り外しを強要するという本件の一連の行為は、団結の保持のためのささやかな組合バッジの着用をいわば重大犯罪視するものであり、これによって団結の保持を弱め、労働組合を弱体化しようとするものである。
なお、本件一連の行為は、実態としては、右のように団結権に基づく組合バッジの着用を続けたことを理由として、組合員らに処分を始めとする極度の不利益取扱いを行っているものであるから、組合所属あるいは組合活動を理由とする不利益取扱いであり、労働組合法七条一項にも該当する不当労働行為でもある。
(二) 就業規則による規制行為には必然的に一定の限界があり、職場規律条項のようにそれ自体は抽象的な条項によろうとも、特段の実質的な業務阻害の危険性がない行為までを不合理に規制することはできない。特に組合バッジは団結権に基づくものであるから、合理的な必要性によって正当化されることのない介入は、それ自体不当労働行為意思に基づくものである。
就業規則の条項を口実にして、事柄の性質に比較すれば異常に激しい対応をする使用者の姿勢自体から、不当労働行為意思を認定することが可能である。
(三) わが国では、就業規則は使用者の一方的な意思によって制定、改定が可能であるが、それだけに、その拘束力は無制限ではありえない。就業規則は、本来、労働基準法によって、労働条件保障の一環として使用者に制定が義務づけられたものであり、一面では労働契約の内容となり、他面では職場での法規的効力を有するが、それらの拘束力は、いずれもその条項が合理的であり、その適用が合理的な必要性に基づく場合に限る。
そして、就業規則の秩序維持条項による組合活動規制に関しては、就業規則条項の文言の形式的該当性とは別に、当該組合活動自体が、企業秩序を現実に侵害したり業務を阻害するなど、当該規則条項の達成すべき目的に実質的に違反するような行為かどうかという基準によって、全体として合理的判断が行われうるものである。
(四) 原告のように旅客運送業務やこれに伴う路線保全、車両検修などの諸業務及び売店経営などの関連業務を行う企業においては、職場の種類により、これに従事する者らについて、旅客に不快感を与えず、またその安心感や便宜を確保したり、作業の安全を保持する目的で、一定の服装の整正が必要であり、これらの職場で就労する労働者らは、労働契約による業務遂行のため、合理的かつ必要な範囲内で、労務提供に付随して右目的による服装の整正をするべきであるから、就業規則二〇条三項の条項は、同条一項の「制服等の定めのある社員は、勤務時間中、所定の制服等を着用しなければならない」という規定とあいまって、右の目的に反しない服装をすべきことを趣旨としたと理解される。
本件組合バッジを着用した場合、第一に、その形状、色彩、大きさともに着用した際に目立たないもので、よくみれば路線断面のマークと頭文字が入っているというものであり、これを見る一般人が嫌悪を感じるような特徴点はなく、これを襟などに付けていることにより特に旅客などが不快感を感じるような理由はない。第二に、本件組合バッジは目立たないもので、かつその組合の記章たることを知らない旅客等の第三者に対しては何の情報を与えるものでもないから、制服着用者が社章や氏名札を着用した上で、襟などにこれをつけていても、旅客等がその着用者が車掌や駅員であることを認識できなくなるとは考えられない。また、一般人に対しても労使紛争があることを示すようなリボン闘争と異なり、その着用によって旅客等が鉄道でストライキが進行中であるなどと考えるような要素も特にないし、主張をアピールするようなプレート、ワッペンの着用などのように、運転士や車掌が、その職務以外にプレート記載の政治的スローガンなどを念頭に置いているのではないかと懸念するような要素もない。右第一、第二につき、旅客等から通常の組合バッジの着用について苦情が寄せられたというようなことは、国鉄時代の職員についても、原告会社の社員についてもない。なお、これらの点に関しては、保線や検修の職場に勤務する者については、一般旅客と接触する機会がもともと殆どないものであるから、始めから問題になる余地が少ない。第三に、バッジ自体が小さいものであるから、制服や作業着の襟につけても、具体的な作業が阻害されるようなおそれは全く考えられないし、物理的に作業の安全を損なうような要素もない。なお、以上のような点は、国労マークが一か所にポイントとして入ったネクタイや、ごく小さな国労マークが頭部分にあるネクタイピン、小さな国労マークが鉤部分に付けられたボールペンなど、いわゆる国労グッズについても同様である。
以上のように、就業規則二〇条三項の趣旨を、一項とあいまって、労務提供のために必要かつ合理的な服装整正を定める目的の条項と解した場合、本件のように小さく目立たない上、組合所属を抽象的な路線のマークと頭文字で示すのみの本件組合バッジは、その趣旨に実質的に反するような何らの要素もないものであり、規制をするような理由が存在しない。
(五) 就業規則二三条の規定の趣旨を合理的に解した場合、少なくとも伝統的な意味での組合活動は、ビラの配付や掲示、組合員らの集会、団体交渉、リボンやワッペン闘争などその多くは、勤務時間内に行われれば業務遂行に影響を及ぼすか少なくとも職務専念に影響を生じ、施設内で行われれば施設管理権に影響を生じるような態様のものであるから、業務遂行やこれに関連する具体的な職場規律を維持する目的から、右に実質的に影響を与えるような組合活動を制限するものと考えることができる。
ところが、本件組合バッジの着用は、少なくとも伝統的な意味からは「組合活動」と呼ばれるものではないし、これを着用していたからといって、右のように業務遂行やこれに関連する職場の秩序を乱すような要素を持たない。
その着用は、特に労働契約による労務提供の内容たる業務遂行に支障を生じるような性格のものではなく、もともと通常の組合バッジは、日常仕事中にもつけることを予定して、そのように業務に支障が出ないように工夫がされているのである。
組合所属を表示する通常のバッジの着用は、もちろん団結の保持という目的でされるのであるが、その団結保持は、組合バッジが現に着用されているということ自体にすでに実現されている。組合バッジ自体の表示は、その記章の意味を知らない第三者には何の意味もなく、社内的にも、これを着用した労働者が組合に所属して就労しているという現実の事実、しかもそれ自体特に非難に値しない事実を示すのみである。
本件のような組合バッジの着用は、伝統的な言葉の意味からすればそもそも「組合活動」とはいえず、仮にこれを組合活動と呼んだとしても、合理的に解釈した就業規則二三条の趣旨に実質的に違反する要素がない。
(六) 就業規則三条自体は、精神条項ないし一般条項というべきものであって、労働契約に基づく労務提供たる業務遂行に合理的に必要な範囲での「職務専念義務」が被雇用者に生じることは、特に右のような規定の存否に係わらない。
労働者は労務提供義務に関わるのでない点にまで、企業の一般的な支配に服するものではない。したがって、右の職務専念義務も、企業側が労働者の内心すべてを支配できるという意味のマジックワードではない。更に、通常の労働者は、熟練するに従い、事故の処理などの非常事態の際を除き、次第にその担当業務を不必要な緊張や集中なくして円滑に行えるようになるのであるから、そもそも通常に就労している労働者の内心について、「真に業務に専念しているか」「一瞬残らず専念しているか」というようなことを詮索するのは意味がないことであって、職務専念義務を論じる際には、当該労働者が、通常人であれば職務の専念を妨げられるようなことを行い、そのため労務の提供に必要な職務の専念をしていなかったと推定されるかどうか、という点について考えるべきである。
本件のような組合所属を表示するのみの組合バッジの着用が、それ自体、業務遂行に必要な程度の職務専念を妨げるという要素はいささかもない。
職務専念との関係で重要なのは、次のような点である。
第一に、本件のような組合バッジは、着用者にとって、組合に所属する自己という自己同一性を表すものである。この自己同一性は、同時に客観的事実であって、着用者にとってはいかに大切なものであろうとも所与の前提であり、周囲の者らにとっては自明の事実である。そうであるから、その本人がその事実を常にあるいは頻繁に意識にのぼらせておかなければならない事情がない。これは、自分の氏名を名札にして着用しているときと同じである。
第二に、本件のような組合バッジの情報性は極めて限られたものであり、そのため、本来、その着用によって日常的に人に注目されるという要素がなく、そのため業務への注意の集中を中断されるということがない。旅客などの第三者は、レールの断面と頭文字だけの小さな本件組合バッジから何らの情報を受け取らないものであるし、周囲の同僚らからすれば、その本人が国労に所属しているということはあたりまえのことであり、本人にとっても意識にとどめておくほどの情報量を持たない。そのような組合バッジにとって、本件一連の行為において管理者により執拗に注目され、取り外しを命じられ、これほど関心を集めたのは空前絶後のことであり、むろんこれによって着用者は、業務遂行への注意集中を妨げられたのであるが、これは右の介入行為によるのであり、組合バッジの着用自体によるのではない。
第三に、その着用者が組合に所属しておりかつ現に就労しているということは、何ら両立しないことではないし、もちろん違法なことでもない。したがって、組合に所属していることについて組合バッジを着用し、現に就労していることによって自分の担当業務に注意を向けていても、その間に心理的な摩擦や抵抗感が生じるという理由がなく、この面でも、本件のような組合バッジが職務への専念を阻害する事情がない。
以上のように、本件のような組合バッジの着用は、その実質において、少しも職務への専念を阻害するような具体的理由がないものであって、職務専念義務に反するといういわれがないものである。
第三 争点に対する判断
一 証拠によれば、次の事実を認めることができる。
1 本件措置に至る経緯
(一) 昭和五六年三月に発足した臨時行政調査会(第二臨調)は、昭和五七年七月三〇日、国鉄の分割民営化、国鉄再建のための推進機関の設置、職場規律の確立等を内容とする答申を行った。その後、昭和五八年六月一〇日に日本国有鉄道再建監理委員会が設置され、同委員会は、昭和六〇年七月二六日、「国鉄改革に関する意見」を政府に提出した。右意見は、国鉄の旅客鉄道部門を全国六地域に分割し、民営化すること、その実施の時期を昭和六二年四月一日とすること、余剰人員対策を行うことなどを内容とし、国鉄再建の具体的方法を述べたものであった。これを受けて、政府は、国鉄改革関連九法案を国会に提出し、うち改革法等の八法案は昭和六一年一一月二八日に成立し、同年一二月四日に公布された。これにより、国鉄が経営していた事業の大部分は、昭和六二年四月一日をもって原告会社を含む新しい企業体に引き継がれた。(甲第八号証、第三一号証、第三七号証、第五〇号証、乙第四七号証)
(二) 分割民営化に至る国鉄労使間及び労働組合相互間の状況等
(1) 国鉄職員局長は、昭和五六年一一月九日、各総局長、各鉄道管理局長等に対し、職場規律の乱れが国民世論から厳しい批判を受けており、その是正が国鉄再建の基盤であるとして、職場規律の確立のために具体的措置を講じるよう指示し、同月一六日、本社内各局が一体となって職員管理に関する基本事項について総合的に調査、審議し、その推進を図るため、本社内に職員管理委員会が設置された。また、昭和五七年一月二八日、国鉄副総裁は、各機関の長に対し、各現場の業務管理について誤った運用のないよう厳正に対処されたいとして、その適正化を指示した。(乙第二〇四号証の一、二、第二〇五、第二〇六号証)
(2) 国鉄総裁は、同年三月五日、運輸大臣からの厳しい指示もあったとして、各機関の長に対して通達を発し、職場規律の総点検及び是正を指示した。この総裁通達の実施にかかる事務連絡において示された総点検調査項目は具体的かつ多岐にわたっており、その中に勤務時間中の組合活動の有無、リボン・ワッペン及び赤腕章の着用状況にかかる項目はあったが、組合バッジの着用状況に関する項目はなかった。
この総点検は、国鉄の全現業機関四八三一か所について行われ、その結果、国鉄は、職場規律の乱れが広くかつ深いものであるとして、その抜本的是正、現場管理者のバックアップ体制の確立、職場管理体制の充実等について緊急に全力を挙げて取り組むこととした。
その後、国鉄は、昭和六〇年九月までに計八次にわたる職場規律の総点検を行ったが、いずれの総点検においても組合バッジの着用状況についての調査項目はなかった。
(乙第二〇七号証、第二〇八号証の一、二、第二〇九、第二一〇号証、第二一五、第二一六号証、第二一九、第二二〇号証、第二二三、第二二四号証、第二二七、第二二八号証、第二三一、第二三二号証、第二三五、第二三六号証、第二三九、第二四〇号証、第二四三号証、第三一六号証)
(3) 国労、動労、全施労及び全国鉄動力車労働組合連合会(以下「全動労」という。)の四組合は、昭和五七年三月九日、国鉄再建問題四組合共闘会議を発足させ、「国鉄の分割民営化、二〇万人体制等に反対し、真の国鉄再建を目指し四組合の統一要求実現のため諸行動を強化する」等の闘争方針を確認し、総点検についての前記昭和五七年三月五日付け総裁通達に対して抗議を行った(乙第四七ないし第五〇号証)。
(4) 国鉄は、同年七月一九日、国労、鉄労、動労、全施労及び全動労の五組合に対し、従来から組合分会と現場責任者との間で職場単位で行われてきた現場協議制度が悪しき労使関係を生んできたとして、「現場協議に関する協約」の改訂案を提示し、同年一一月三〇日までに交渉がまとまらなければ現行協約を破棄する旨通告した。これについて、鉄労、動労及び全施労は国鉄との間で改訂案どおりの協約を締結したが、国労及び全動労と国鉄との交渉は決裂し、同年一二月一日以降、国労及び全動労について「現場協議に関する協約」は失効した。
なお、この頃以降、国労及び全動労を除く各組合は、争議行為を行わなくなった。
(甲第八号証、乙第四七号証、第六五号証、第七二号証、丙第三号証、第六、第七号証)
(5) 国労は、昭和六〇年に分割民営化反対のキャンペーンとしてワッペン着用闘争を行った。これに対して国鉄は、同年九月一一日、闘争に参加した約五万九二〇〇名の組合員に対して戒告、訓告等の処分をした。
(甲第八号証、第四二号証、乙第六五号証、第三一三号証)
(6) 国鉄は、昭和六〇年一一月三〇日、国労に対し、同日期限切れとなる雇用安定協約について、国労が派遣や休職などいわゆる余剰人員対策に対し非協力の態度をとっていることを理由に、再締結できない旨通告し、翌一二月一日から無協約の状態となった。一方、国鉄は、動労、鉄労及び全施労との間で同日、雇用安定協約を昭和六二年三月三一日までの期限で再締結した。(甲第八号証、第四六、第四七号証、乙第六五、第六六号証、第八四号証、丙第一一号証)
(7) 国鉄は、昭和六一年一月一三日、「労使共同宣言」(第一次労使共同宣言)の締結を各組合に提案した。同宣言の案は、「雇用安定の基盤を守るという立場から、国鉄改革が成し遂げられるまでの間、労使は、信頼関係を基礎として、以下の項目について一致協力して取り組むことを宣言する。」というものであり、諸法規の遵守、リボン・ワッペンの不着用、氏名札の着用等の服装の整正、点呼妨害等の根絶などの課題への最善の努力、労使一致協力による必要な合理化の積極的推進、余剰人員対策についての具体的取組み、等の項目が掲げられていた。
この提案に対し、鉄労、動労及び全施労は受諾したが、国労は拒否した。
(甲第四八号証、乙第二七号証、第八四号証、第九〇号証)
(8) 同年二月二五日に国鉄総裁公館で行われた鉄労、動労及び全施労の共同宣言三組合と国鉄幹部との労使懇親会において、澄田常務理事は「お互い同志的団結を固めたい」と挨拶し、杉浦総裁は「総領の甚六というが、体の大きいのはなかなか言うことを聞かない。その点、二男、三男、四男は目から鼻に抜ける賢さを持っている。」「皆さん、親の手に負えなくなった兄貴を、ひとつ導いてほしい。……三兄弟のますますの発展を……」などと述べた(乙第九一号証)。
なお、同年五月当時の各組合の組合員数は、国労が約一六万三〇〇〇名(組織率68.3パーセント)、動労が約三万一三五〇名(組織率13.1パーセント)、鉄労が約二万八八七〇名(組織率12.1パーセント)、全施労が約一五九〇名(組織率0.7パーセント)であって、杉浦総裁の右発言における「総領の甚六」「親の手に負えなくなった兄貴」が国労を指すことは明らかであった(乙第七〇号証)。
(9) 国鉄は、同年三月四日、各組合に対し、広域異動の実施を提示した。これは、第一陣として、北海道から約二五〇〇名を東京、名古屋地区に、九州から約九〇〇名を大阪地区に配転するという大規模なものであり、その状況をみながらさらに第二陣以降を検討するというものであった。
これについて、動労、鉄労、全施労等は協力を表明したが、国労は、応募する際の選任基準、配転にかかわる諸条件、受入れ側の労働条件等について団体交渉を要求し、労使意見一致をはかることを求めたが、国鉄は、これに応じることなく同月一五日にその実施を決定し、同月二〇日以降、第一陣の募集を開始した。
(甲第八号証、乙第六五、第六六号証、第八四号証)
(10) 国鉄総裁は、同年三月五日、各機関の長に対し、職場規律の総点検の集大成として、個々の職員の実態把握を統一的に行うため職員管理調書を作成するよう通達を発した。
この職員管理調書は、同年四月二日現在の職員について、昭和五八年四月一日から昭和六一年三月三一日までを調査対象期間として作成されたが、そこには一般処分、労働処分等七項目の特記事項のほか、評定事項として業務知識、責任感、協調性、職場の秩序維持、服装の乱れ、勤務時間中の組合活動等二一項目について記入することとされていた(労働処分については、昭和五八年七月二日に処分通知を行った「五八・三闘争」から記入することとされたが、動労は昭和五七年一二月以降争議行為を行わなくなり、動労組合員に対する最後の処分通告は昭和五八年三月二六日であるため、動労組合員の労働処分歴は右調書から除かれることになった。)。その中の「服装の乱れ」の項目は、「リボン・ワッペン、氏名札、安全帽、安全靴、あご紐、ネクタイ等について、指導された通りの服装をしているか」というものであり、組合バッジについては言及されていなかった(なお、「勤務時間中の組合活動」の項には、ワッペン着用、氏名札未着用については「服装の乱れ」の項で回答することとの注意書がある。)。
(乙第一七号証、第三六号証、第二四四号証、第三一三号証、丙第三〇号証)
(11) 国労は、昭和六一年四月一〇日から一二日まで、国鉄の分割民営化方針等に抗議して、ワッペン着用闘争を行った。これに対して国鉄は、同年五月三〇日、右闘争に参加した約二万九〇〇〇名の組合員に対し戒告及び訓告の処分をした。
このように、国労は、それまで要求実現のためにワッペンを着けるという行動をとることもあったが、右のとおり国鉄が厳しい処分で臨んだため、以後このような行動がとれなくなった。
(甲第八号証、乙第六五、第六六号証)
(12) これに先立ち、国鉄職員局の葛西次長は、昭和六一年五月二一日、動労東京地方本部各支部三役会議で講演し、「レーガンがカダフィーに一撃を加えました。国際世論はしばらく動きがとれなくなりました。私はこれから、山崎(当時の国労委員長)の腹をブンなぐってやろうと思っています。みんなを不幸にし、道連れにされないようにやっていかなければならないと思うんでありますが、不当労働行為をやれば法律で禁止されていますので、私は不当労働行為をやらないという時点で、つまりやらないということはうまくやるということでありまして……」などと述べた(乙第七四号証)。
(13) 国鉄は、同年六月二四日、合理化によって生じる余剰人員対策の一環として人材活用センターを設置する旨発表し、各組合に説明した。これに対して国労は、同日、同センターの設置は余剰人員を固定化しないとする従来の運用に反するとして、国鉄に対して抗議をするとともに団体交渉を申し入れた。
しかし、国鉄は、これに応じることなく、同年七月一日、予定どおり全国一〇一〇か所に人材活用センターを設置した。同センターに配置された職員らは、本務以外の増収活動、経費削減、転換教育等に従事したが、そこに配置された職員のほとんどは国労組合員であり、同年一一月一日現在でみると、国労組合員が八一パーセント(当時の国労の組織率は約四八パーセント)、動労組合員が七パーセント、鉄労組合員が六パーセントであった。
(甲第八号証、乙第六五号証、第九五ないし第九八号証、第一三八号証)
(14) 同年七月一八日、鉄労、動労、全施労及び真国鉄労働組合(同年四月一三日、国労東京地方本部から脱退した者を中心に結成、結成当時の組合員約一二〇〇名)の四組合は、国鉄改革労働組合協議会(以下「改革労協」という。)を結成し、同年八月二七日、国鉄と第二次労使共同宣言を締結した。この宣言は、①労使は信頼関係を基礎に国鉄改革の実施に向かって一致協力して尽力すること、②労使は「国鉄改革労使協議会」が今後の鉄道事業における労使関係の機軸として発展的に位置づけられるよう緊密な連携・協議を行い、組合は鉄道事業の健全な経営が定着するまで争議権の行使を自粛すること、③職員に対する必要な教育の一層の推進と指導を徹底すること、等を内容としていた。(甲第四九号証、第五七号証の二、乙第二八号証、第三一号証、第三三号証)
(15) 杉浦総裁は、同年七、八月に開催された鉄労、動労及び全施労の各定期大会に出席し、鉄労大会では「この苦難のなかで終始一貫した信念と勇気と行動力の鉄労の存在は画期的であり、絶賛称賛したい。ほめてもほめすぎることはない。」と述べ、動労大会では「動労の皆さんの『知性と勇気』に心から御礼を申し上げます。国鉄の組合のなかにも『体は大きいが、非常に対応が遅い組合』があります。この組合と仮に、昔『鬼の動労』といわれたままの動労さんが、今ここで手を結んだといたしますと、これは国鉄改革どころではない。そのことを想像するたびに、私は背筋が寒くなるような感じがします。……あらためて動労の皆さんに絶大なる敬意と賞賛の言葉を申し上げます。」と述べ、全施労大会でも「全施労の皆様方の今日の国鉄改革への協力につきまして心から感謝申し上げます。」と述べて、右各組合を高く評価し、その取組みに感謝する旨の挨拶をした(乙第二九、第三〇号証、第三五号証)。
更に、同年八月二八日、国鉄は「総裁談話」を発表し、その中で、昭和五〇年一一月から一二月にかけて行われたいわゆる「スト権スト」に関し、国鉄が昭和五一年二月に国労及び動労に対して提起した約二〇二億円の損害賠償請求訴訟のうち、動労に対するものを取り下げ、「これまで動労がとってきた労使協調路線を将来にわたって定着させる礎としたい。」などと述べ、昭和六一年九月三日に動労に対する右訴えを取り下げた(乙第六五号証、第七二号証、丙第三七号証、第二六一号証、弁論の全趣旨)。
(16) 動労、鉄労及び全施労の右各定期大会に、各組合の代表者はそれぞれ相互に来賓として挨拶し、動労の定期大会において、志摩鉄労書記長は「新事業体における新しい労働運動を創りあげてみたい。その共通理念は、国鉄労働運動を形骸化し、しかも多くの労働者に雇用不安をかもし出した国労運動を打倒する闘いを追求していきたいと考えているわけです。」などと述べ、鉄労の定期大会で杉山全施労委員長は「国鉄改革に反対する国労は今や崩壊寸前であり、我々は力を合わせて国労解体を更に促進しよう。」などと述べ、更に、全施労の定期大会では、松崎動労委員長が「どんどん組織を伸ばし、駄目な労働組合には消えてもらうより方法がありません。駄目な組織はイジメ抜く。そういう決意でいます。」などと述べ、ともに国労への激しい敵意をあらわにしている(乙第二九、第三〇号証、第三二号証)。
(17) 一方、国労は、同年一〇月九日・一〇日の両日、伊豆修善寺で臨時大会を開催したが、分割民営化反対の旗を下ろして労使共同宣言を締結するという国鉄当局との「大胆な妥協」を目指す執行部方針は否決され、引き続き国鉄の分割民営化に反対していく方針が確認された。同大会以降、国労は分裂し、その後各地域に鉄道産業労働組合が結成された。
(乙第二二号証の一、第六九号証、第七九号証の二)
(18) 改革労協は、昭和六二年一月二二日、新会社への採用希望の意思確認の集計過程で本州及び四国が定員割れとなることが明らかになったことから、国鉄当局に対し、「国鉄改革に敵対している者までも新事業体に移行させざるを得ない状況が生み出されている。これは第二次労使共同宣言にもとることであり、同時に新事業体の経営基盤を根本から揺り動かしかねない事態でもある。」「改革労協としては、二一万五〇〇〇人の要員枠そのものの是非を含めて、正直者が馬鹿を見ない対処方を要求」する旨申し入れた(乙第三八号証)。
(19) 昭和六二年二月二日、鉄労、動労、日本鉄道労働組合(昭和六一年一二月一九日、真国鉄労働組合と全施労が統合して結成、組合員約一万名)及び鉄道社員労働組合(昭和六二年一月二三日結成、組合員約三万名)は、新会社における「一企業一組合」の実現を目指し、全日本鉄道労働組合連合会(鉄道労連)を結成した(乙第六九号証、第七七、第七八号証、丙第四四号証の一)。
右結成大会において鉄道労連は、希望退職者が三万人を突破したことにより、新会社に採用されない者が四〇〇〇人程度になり、本州三会社では、地域により定員割れをきたすといわれていることについて、「このことが事実であるとすれば、国鉄改革に反対する不良職員が採用されかねない。しかし、このようなことは許されるものではないし、われわれは断じて許さない。新会社は第二次労使共同宣言の趣旨にそって、まじめに努力した者によって担われるべきである。正直者が馬鹿をみるということがあってはならない。……職員の採用にあたっては、改革に努力している職員と妨害している職員とを区別するのは当然であり、われわれはこのことを強く主張し、具体的な処置を求め、全力をあげて闘う。」とする「新会社の採用・配属に関する特別決議」を採択した(乙第三七号証)。
また、同日開催された「祝賀レセプション」で、杉浦総裁は、右特別決議に応える形で、「私は国鉄改革をすすめる過程で、画期的とか、歴史的とかいう表現を何回も使ってきたが、今夜は二乗、三乗に画期的で歴史的な日である。……二、三日前に職員の意思確認調書の集計を発表したが、当初の予想と違った結果が出ている。しかし皆さんと歩んできた方向は全然変わらない。新局面に対応して皆さんの努力に応えるように考えていきたい。」などと挨拶したが、杉浦総裁は、後に原告の社長に就任した住田正二とともに、承継法人の職員の採用に関する事務を行う旅客会社及び貨物会社の設立委員であった。(乙第一〇三、第一〇四号証、丙第四四号証の一)。
次いで、同年二月二八日、国労を脱退した旧主流派によって各地域ごとに結成された鉄道産業労働組合(略称「鉄産労」)は、その連合組織として日本鉄道産業労働組合総連合(鉄産総連)を結成した(甲第五七号証の七、乙第六九号証)。
(20) 以上のような状況の下で、昭和六一年五月当時、組合員約一六万三〇〇〇名(組織率68.3パーセント)を有する国鉄内の最大組合であった国労の組合員は、昭和六二年二月には約六万四七〇〇名(組織率29.2パーセント)となり、更に同年四月には約四万四〇〇〇名にまで急減した。なお、昭和六二年二月当時、鉄道労連は約一二万六〇〇〇名(組織率五五パーセント)、鉄産総連は約二万一〇〇〇名(組織率九パーセント)という組織状況であった。(乙第七〇、第七一号証、第八〇号証)
(21) 国鉄の分割民営化に際しては、改革法により国鉄職員の承継法人への採用という形がとられたが、この採用は、国鉄の作成した採用候補者名簿に基づき、昭和六二年二月一二日の設立委員会で決定され、同月一六日、国鉄職員に対して採用通知が配付された。このとき全国で約六七〇〇名が不採用となり、そのうち大量の不採用者が出た北海道及び九州では国労組合員が不採用者の約七一パーセントを占め(国労組合員の採用率は北海道が48.0パーセント、九州が43.1パーセント)、同様に分割民営化に反対し、労使共同宣言に締結しなかった全動労からも大量の不採用者が出た(全動労組合員の採用率は北海道が28.1パーセント、九州が32.0パーセント)。これに対し、鉄産労の採用率は約八〇パーセントで、鉄道労連の採用率は九九パーセントを超えていた。また、希望者が基本計画の採用枠を大きく下回った本州及び四国でも七六名が不採用となり、そのうち五八名が国労組合員であった。(甲第八号証、第五五号証、乙第一四八号証、丙第一三三号証)
(三) 原告における組合バッジ規制の経緯
(1) 昭和六二年三月二三日、当時国鉄内に設置されていた東日本旅客鉄道株式会社設立準備室の小柴次長は、原告会社成立の際の社員証、社章及び氏名札の社員への交付方法、着用方法等について各機関総務(担当)部長(次長)に指示した。それによると、交付は勤務箇所長より直接社員一人一人に手渡すことにより行い、組合バッジを着用している場合は組合バッジを取り外させて社章を着用させることとされていた。(乙第二四七号証、第三一五号証)
右指示に基づき、勤務箇所長は、社員に対し、同年四月一日又はその前後の社章等の交付時、組合バッジを取り外すよう指導した(乙第二五九号証、第二七一号証、第三一五号証、第三二〇号証)。
(2) 原告人事部勤労課嶋副長は、同年四月七日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、各現業機関の社員(箇所長、助役及び役付医療社員を除く。)を対象に、同月一日から七日までにおける社章、氏名札及び組合バッジの常態的な着用状況について調査し、着用又は不着用の社員数を、更に、組合バッジの着用者数については組合別人員数をも報告するよう指示した(乙第二四八号証、第三一五号証)。
原告人事部勤労課長は、同月二〇日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、「組合バッジ着用者に対しては、服装違反である旨注意を喚起して、取り外すよう注意・指導すること。その際の注意等に対する言動を含めた状況を克明に記録しておくこと。繰り返し注意・指導を行ったにもかかわらず、これに従わない社員に対しては、『就業規則』、『社員証、社章及び氏名札規程』に違反するとして厳しく対処することとし、人事考課等に厳正に反映させることとされたい。」ことなどを内容とする指示を出した(乙第一号証、第二五〇号証)。
これを受け、翌二一日、東京圏運行本部の総務部人事課長及び勤労課長は、各現業機関の長に対して同旨の指示を行った(乙第二五一号証、丙第一一〇号証の六)。
原告人事部勤労課嶋副長は、同月二三日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、同年五月七日から一三日までにおける社員の氏名札、社章等の着用状況の第二次調査・報告を指示した(乙第二五二号証)。
右二回の調査により報告された原告社員の社章、氏名札等の着用状況は次のとおりであった(乙第二六六、第二六七号証、第三一五号証)。
① 第一次調査(昭和六二年四月一日から七日まで) 調査対象社員六万四一〇五名
正規の服装をしていた者 五万八三七六名(全体の91.1パーセント)
組合バッジ着用者 五六四五名(全体の8.8パーセント)
(そのうち、組合バッジに併せて社章及び氏名札を着用していた者四八六三名、社章を着用していた者二〇七名、氏名札を着用していた者一九三名、組合バッジのみを着用していた者三八二名)
組合別内訳 国労五六三四名、動労総連合七名、全動労四名
② 第二次調査(昭和六二年五月七日から一三日まで) 調査対象社員六万三九一二名
正規の服装をしていた者 六万一一〇八名(全体の95.6パーセント)
組合バッジ着用者 二七九八名(全体の4.4パーセント)
(そのうち、組合バッジに併せて社章及び氏名札を着用していた者二四八八名、社章を着用していた者七五名、氏名札を着用していた者八七名、組合バッジのみを着用していた者一四八名)
組合別内訳 国労二七九〇名、全動労八名
(3) 東京圏運行本部の人事課長及び勤労課長は、同年四月二八日、各現業機関の長に対し、決められた服装をしない社員の個人別把握を行うよう指示した(乙第二五三号証)。
原告人事部勤労課長は、同年五月二一日、関係各機関の勤労課長に対し、依然として管理者の注意・指導に従わず服装違反を繰り返す社員が見受けられるとして、更に強力にこれら服装違反の社員に対して注意・指導の徹底を図り、直ちに改善に取り組むよう指示した(乙第二五五号証)。
原告人事部長は、同月二八日、関係各機関の総務部長等あてに、社章・氏名札の未着用、組合バッジ着用等の「服装違反者に対して従前の注意・指導を踏まえて一層の改善をはかるべく、更に強力に取り組まれたい。」と指示した。その中で同部長は、原告の方針を点呼、掲示等により社員に対して周知徹底を図るうえでの参考として、服装違反者に対しては厳正に対処せざるを得ないとする警告文を示し、「現場の実態について完全に把握し、厳正な対処の準備を図られたい。」と指示した。
(乙第二五六号証)
これを受け、東京圏運行本部総務部長は、同日、各現業機関の長に対し、東京圏運行本部長名による右警告文の掲出を指示し、翌二九日、各現業機関では、同警告文を掲示した(乙第二五七号証、第二六二号証、第二七四号証)。
(4) このような経過を経て、原告は、昭和六二年六月一二日に本件厳重注意及び訓告の処分を発したが、右処分を受けた国労組合員の中には、当初本件組合バッジを着用していたが、その後組合バッジを外せば処分されることはないとの駅長等の指導に応じて同バッジを外した者も含まれていた(乙第三一九号証)。
また、原告は、昭和六二年夏季手当において、本件処分が発令されなかった者を含む組合バッジ着用者等に対し、賃金規程一四五条三項に規定する成績率(減額)の対象者に該当するとして、本件減額措置をとった。本件減額措置を受けた本件組合員ら九一七名に対する減額総額は約二〇一七万円に及んでいる。
その後、原告は、組合バッジ着用者等に対し、昭和六二年一一月、昭和六三年一一月、平成元年五月、平成二年三月、同年九月、平成三年三月、同年九月、平成四年三月、同年九月、平成五年三月、同年九月、平成六年三月、同年九月、平成七年三月にそれぞれ戒告、訓告、厳重注意等の処分を行い、昭和六二年年末手当、昭和六三年ないし平成六年の各夏季手当及び年末手当、平成七年夏季手当においても減額の措置をとった(丙第一六六号証、第一八五号証、第一九二号証)。
更に原告は、昭和六三年ないし平成七年度の各昇給において、組合バッジ着用者等に対し、賃金規程二四条及び別表第八に規定する昇給欠格条項に該当するとして、昇給号俸から一号俸ないし二号俸を減じた(丙第一六六号証、第一九二号証、第三一五、第三一六号証)。
(5) 平成七年三月現在、原告会社における組合バッジの着用者は約一二〇〇名であり、これは全社員数約八万名の約1.5パーセントに当たる(丙第一九二号証)。
2 就業規則等の制定等について
(一) 原告の就業規則は、原告会社発足前に国鉄の組織の一部として国鉄本社内に設置された東日本旅客鉄道株式会社設立準備室がその原案を作成し(これには国鉄職員局労働課も関与した。)、原告の創立総会が開催された昭和六二年三月二三日に制定され、同月三一日までに国鉄の関係箇所に備え付けられた。その後、原告は、各労働組合の意見聴取を経て、同年五月中頃までに右就業規則を所轄労働基準監督署に届け出た(乙第一〇二号証、第三一五、第三一六号証)。
原告の就業規則の制定に際し、東鉄労は賛成の意見書を原告に提出し、国労の東日本本部及び事業所単位の分会は、その二〇条について、規定乱用のおそれがあるので削除し、被服規定等に係わる協定の定めによることにすべきであり、二三条については、「施設管理権」等を根拠として憲法、労働組合法、労働関係調整法及び労働基準法に基づく正当な組合活動や基本的人権を侵害するおそれがあるので、「法令にもとづく正当な組合活動の権利及び基本的人権の発想については妨害しない」旨を明示すべきである等の意見書を提出した(乙第一八号証、第二七六号証、第三一三号証)。
(二) 期末手当の支給額は、賃金規程一四三条及び一四五条の規定に基づき、成績率により増額又は減額されるが、このうち減額については、懲戒処分及び訓告のほか、勤務成績が考慮されることになっており、その際作成される期末手当減額調書には、業績(問題意識、成果)、態度(勤務態度、協調性等)、処分の有無、服装(組合バッジ着用等)の注意回数等について記入することとされている(丙第七七号証、第一一〇号証の三、八)。
(三) 昇給欠格条項については、賃金規程二四条及び別表第八の規定により、昇給所要期間内に懲戒処分、訓告及び勤務成績が特に良好でない者という昇給欠格事由がある場合には、昇給時に通常四号俸昇給すべきところを一号俸以上減じられることになっている(丙第七七号証)。
(四) また、昇進試験の受験資格については、昇進基準(規程)一五条の規定により、一年内に一回でも懲戒処分(訓告を含む。)があると、直近の昇進試験が受けられないことになっている(丙第七八、第七九号証)。
(五) 本件処分のうち訓告処分については、同処分が年度内に二回されると、通常四号俸上がる毎年四月の昇給が四分の一減じられる(一号俸減俸)仕組みになっており(賃金規程二四条及び別表第八の昇給欠格条項3)、同処分に伴う昇給の一号俸減俸は、一時的な不利益に止まらず、会社を退職するまでの毎月の給料、一時金、退職金にまで連動する。また、一年内に一回でも訓告処分があると直近の昇進試験が受けられないため、その不利益は大きいものがある。
更に、訓告処分は、就業規則一四一条二項に「懲戒を行う程度に至らないものは訓告する。」と規定され、戒告以上の懲戒処分とは区別されているにもかかわらず、期末手当については、賃金規程一四五条三項イのとおり、減給又は戒告といった懲戒処分と同様に一〇〇分の五が減じられることとされており、給与上の取扱いにおいては、事実上懲戒処分と差が設けられていない(なお、右賃金規程一四五条三項は、その後原告の昭和六三年八月人達第一二号により、減給又は戒告の処分を受けた者については一〇〇分の一〇減、訓告を受けた者及び勤務成績が良好でない者については一〇〇分の五減と改定され、懲戒処分と訓告との間に差が設けられた。)(丙第七七号証、第一八六号証)。
また、前述したとおり、厳重注意については、会社発足後間もない昭和六二年六月一二日に、原告が、本件組合バッジの着用者に対して本件厳重注意の処分を行い、賃金規程一四五条に規定する「勤務成績が良好でない者」にあたると査定して同年夏季手当について五パーセントの減額を行っており、その後原告においては厳重注意が二回重なると訓告処分を行うという取扱いがされ、厳重注意が深刻な経済的不利益を伴う訓告処分の前提となっている。
3 本件組合バッジについて
(一) 本件組合バッジは、縦1.1センチメートル、横1.3センチメートルのほぼ正方形で、黒地に金色のレールの断面と「NRU」の文字をデザインしたものであり、「NRU」は「国鉄労働組合」を英訳した「NATIONAL RAILWAY UNI0N」のイニシャルをとったものである。国労の組合バッジは結成後間もない昭和二三年に制定され、昭和四一年に組合結成二〇周年を記念して、現在のデザインに変更された(なお、ワッペン式大型バッジは、通称「くまんばち」と呼ばれ、デザインは本件組合バッジとほぼ同様であるが、縦2.6センチメートル、横2.8センチメートルと大きく、これは主に何らかの闘争時などを中心に着用された。この大型バッジについて、国鉄当局は、通常の組合バッジと区別し、ワッペンの一種であるとして、国鉄末期に規制を行った。)。
本件組合バッジは、国労に加入した際、国労手帳とともに組合員に無償で支給され、国鉄時代、国労からの指令等はなくても、国労組合員は当然のこととして自発的にこれを制服や作業服の胸や襟等に着用した。
(乙第一九号証、第三一三号証、丙第一三六号証、第二六三号証、証人樫村潔、同佐々木輝雄の各証言)
(二) 国労は、国鉄分割民営化の過程で多くの脱退者が続出するに至り、国鉄内で少数派となっていったことから、本件組合バッジを組合団結のシンボルとする国労組合員は、国労の組織防衛上の見地から組合員であることを確認し、仲間意識を維持確保しようとの意識のもとに、本件組合バッジの着用を続けた(乙第三一三号証、第三二四号証、証人樫村潔の証言)。
(三) 本件組合バッジの着用について、東京地本は、原告会社設立前の昭和六一年一〇月三一日、「国労バッジの完全着用を図ること」などの指令を出し、更に、昭和六二年三月三一日、当面の対策として「国労バッジは全員が完全に着用するよう再度徹底を期することとする。」などの指示を出した(乙第二七八号証、第二八〇号証、第二八二号証)。
国労は、右指示以前は組合員に対し本件組合バッジの着用を指示したことはなかったが、右指示以降、原告により本件組合バッジの着用を理由とした訓告等の処分、期末手当の額の減額の措置、昇給号俸からの減号俸の措置など、本件措置を含む不利益な取扱いが継続的に行われたため、分会によっては、本件組合バッジの着用について各組合員の自主的な判断に委ねたり、組合バッジの代わりに国労マーク入りのネクタイやネクタイピンを着用するとの意思統一をしたり、支部報、分会報で本件組合バッジの着用を呼びかけるところもあった(甲第八三ないし第八六号証、第九〇号証、乙第一八六号証、第三一三号証、第三二四号証、証人武井正人、同中村喜嗣郎の各証言)。
なお、昭和六二年一〇月一九日から開催された東京地本定期大会の昭和六二年度運動方針案にも、青年部活動の強化として、「国労バッジの全員着用にむけ職場での学習・討論を深めます。」との運動方針が掲げられている(乙第二八三号証)。
(四) 本件組合バッジの着用に対して、これまで利用客からの苦情は特になく、また、本件組合バッジの着用によって、職場で従業員の対立や混乱が生じたことはなかった(証人樫村潔の証言)。
(五) 国鉄における職員の服装の整正については、就業規則に次のとおり定められていた(乙第二〇一号証)。
第六条 職員は、服装を端正にし、常に職員としての規律と品位を保つように努めなければならない。
2 職員は、総裁(又はその委任を受けた者)の定めるところに従って、制服等を着用し業務に従事しなければならない。
また、「服制及び被服類取扱基準規程」には、次のとおり定められていた(乙第二〇二号証)。
第一六条 被服類には、腕章、キ章、服飾等であって、この規程に定めるもの及び別に定めてあるもの以外のものを着用してはならない。
したがって、国鉄の就業規則等では、組合バッジが国鉄が着用を認めたもの以外の「キ章」に該当するものとして、その着用を禁止することも可能であったが、国労以外の労働組合も組合員がそれぞれ組合バッジを着用しており、国鉄がその取り外しを指導したり、着用を理由に処分したことは一度もなかった。(乙第三一五、第三一六号証)
4 他組合のバッジ着用に対する対応
(一) 国鉄時代には、動労、鉄労など国労以外の他の組合もそれぞれ組合員であることを表す組合バッジを作成し、組合員に配付していた(動労のバッジは動輪をデザインした円形のバッジ、鉄労のバッジは「てつ」というひらがなをデザインしたバッジで、ともに本件組合バッジとほぼ同じ大きさであった。)(丙第一三六号証、証人佐々木輝雄の証言)。
(二) 動労組合員は、昭和六二年三月頃までは組合バッジを着用していたが、原告会社が発足した頃は、国労以外のほとんどの他組合員は組合バッジを外しており、同年四月下旬頃には、組合バッジを着用していたのは国労組合員のみというに等しい状況であった(乙第三一三号証、第三一八号証、証人佐々木輝雄の証言)。
(三) 鉄道労連は、昭和六二年四月一日付け機関紙で組合員に対し「着けよう鉄道労連バッジ」との呼びかけをしたが、鉄道労連下部組織の東鉄労組合員は着用しなかった(乙第一六号証、証人樫村潔の証言)。
東鉄労としては、所属組合員が就業時間中組合バッジを着用するようなことがあれば、強力に指導して外させる方針である(乙第三一八号証)。
(四) 東鉄労の松崎委員長は、「公益レポート」昭和六二年六月二〇日号のインタビューの中で、バッジを着用し会社の秩序を乱すということで大量の処分があったことについてどのように受け止めているかとの質問に対し、「まず一般論から言いますと、その程度のことで、という感じがします。たとえば私鉄に行きましても組合はバッジはつけています。だから、それ自体としては、安定した労使関係のもとでは、お互いに認め合ってバッジの着用というようなことはあっていいと思います。しかし今JRの立たされている状況からみますと、いささかでも労使の紛争の種をなくすということに全体が最大の努力をすべきだと私は思っていますから、……権利だからといって無茶なことをするのは良くないという点で、私たちは会社側と話をしてきた経緯もありますから、……」などと述べ、服装自体の問題より、根底の労使関係を重視すべきであり、今は権利の主張より、経営基盤の確立が先決である旨述べている(乙第四三号証)。
5 労使関係に関する原告会社幹部の発言等
(一) 原告の松田常務取締役は、昭和六二年五月二五日、昭和六二年度経営計画の考え方等の説明会において、労務管理について触れ、「職場管理も労務管理も三月までと同じ考えであり、手を抜くとか卒業したとかいう考えは毛頭持っていない。とくに東日本の場合は従来と中身は少しも変わっていないのだから、二か月経ったから遠慮なく申すが、もう我慢できない。非常に危険な状態になっている。当分は立ち上がって闘う必要がある。闘争心、競争心を忘れないように。……会社にとって必要な社員、必要でない社員のしゅん別は絶対に必要なのだ。会社の方針派と反対派が存在する限り、とくに東日本は別格だが、おだやかな労務政策をとる考えはない。反対派はしゅん別し断固として排除する。等距離外交など考えてもいない。処分、注意、処分、注意をくりかえし、それでも直らない場合は解雇する。」などと述べた(乙第四一号証)。
(二) 松田常務取締役は、昭和六二年六月二〇日、鉄道労連高崎地方本部主催の学習会において、組合バッジ着用について触れ、「何も、共・協連合と皆さんが手を結べと言っているのではない。会社を破壊しようとする者がいれば、私が先頭に立って闘う。……組合バッジは、労働運動の現れである。現れでも何でもいい。……就業規則で認めていないことが何で労働運動なのか。従って、今度は、人事部長名であらゆる所に掲示して、宣戦布告し、個人説得をする等してそれでもいう事を聞かない者には処分という形で警告を与えた。しかし、これで終わりではない。どしどしやっていかなければならない。どうしても一緒にやっていけない者は解雇するしかない。」などと述べた(丙第四九号証の一)
(三) 住田社長は、昭和六二年八月六日、東鉄労の第二回定期大会の挨拶において、「今後も皆さん方と手を携えてやっていきたいと思いますが、そのための形としては一企業一組合というのが望ましいということはいうまでもありません。残念なことは今一企業一組合という姿でなく、東鉄労以外にも二つの組合があり、その中には今なお民営分割反対を叫んでいる時代錯誤の組合もあります。民営分割反対ということは、おそらくJR東日本がつぶれて昔の国鉄に戻ったら良いと思っているのではないかと思います。……このような人達がまだ残っているということは会社の将来にとって非常に残念なことですが、この人たちはいわば迷える小羊だと思います。皆さんにお願いしたいのは、このような迷える小羊を救ってやって頂きたい。皆さんがこういう人達に呼び掛け、話し合い、説得し、皆さんの仲間に迎え入れて頂きたいということで、名実共に東鉄労が当社における一企業一組合になるようご援助頂くことを期待し、……」などと述べた(乙第四二号証)。
(四) 住田社長は、原告発行の「JR東日本報平成四年一月一日号外」において、「会社創立以来、JR東労組を基軸とした労使関係の中で、JR東日本を健全な、日本の一流企業に育てあげようという共通の目標を持ち、お互いに手を携えて、努力して参りました。現在のJR東日本の好調な経営が、この安定した労使関係の上に築かれてきたことは、かっての国鉄時代の不毛の労使関係を思いおこしてもらえば、直ちに理解できることであります。」、「最近新聞紙上に、旧動労、旧鉄労、旧国労などという言葉が出ていますが、これらは新生JR東日本にとっては過去の遺物であり、無縁の存在です。それを呼び戻そうとするのであれば、時代錯誤という以外にはありません。」などと述べた(丙第一七一号証)。
住田社長は、原告発行の「JR東日本報平成五年一月一日号外」においても、「JR東労組を基軸とした安定した労使関係のなかで、今年一年、社員の皆さんのこれまで以上の積極的な取組みを期待しまして……」などと述べている(丙第二〇二号証)。
6 現場における本件組合バッジの取り外し指導等の状況について
(一) 鎌倉駅
(1) 原告の鎌倉駅は社員数が三五名であり、うち国労組合員は本件命令申立時二五名であったが、後に一名減じ、二四名となった。
鎌倉駅では、昭和六二年四月初め、国労組合員二五名中二四名が本件組合バッジを着用して勤務していたが、その後、点呼、巡回時等に磯崎駅長、北村助役らが組合バッジを取り外すよう指導した結果、翌五月初めには本件組合バッジの着用者は尾形忠国労組合員ら九名に減少した。
しかし、本件訓告又は厳重注意の処分は、この九名の国労組合員だけでなく、当初本件組合バッジを着用していて、のちに外した者を含めた二四名の国労組合員に対してなされた。
(乙第三一九、第三二〇号証)
(2) 鎌倉駅の磯崎駅長、北村助役らは、同年五月になっても本件組合バッジを外さない尾形組合員ら国労組合員に対し、同月六日以降、それらの者を勤務中個別に駅長室に呼び、組合バッジを外すよう強く指導し、その時間は半時間以上に及ぶこともあった。磯崎駅長、北村助役らが右指導の際に述べた組合バッジ規制の理由は、就業規則に定めてあるからということであった。(乙第五二ないし第五七号証、第三一九号証)
磯崎駅長らは、同駅駅長室で本件組合バッジの取り外しを指導する際に、国労組合員に対して次のような発言をした。
① 「袖をまくって、バッジ着けて生意気やっているんじゃないぞ。俺は、羽沢(駅)で吉田(当時横浜支部青年部書記長)とか板山と喧嘩してきたんだ。……俺は、専門の教育を受けてきたんだ。なめるな。」、「山梨のほうに転勤希望を持っているんだろう。だったらバッジとらなくては駄目だ。」(同月六日午前一〇時から一〇時四五分までの間における尾形組合員に対する磯崎駅長の発言)(乙第五二号証、第三一九号証)
② 「助役が勝手に言っているんじゃないんだよ。会社の方針に基づいて言っているんだからな。これだけは理解してもらわないとまずいよ。鎌倉駅だけ独自にやってるんじゃないからな。会社の方針に基づいてやってるんだから、そこんところを理解しなきゃ駄目だよ。勝手にやったんじゃ。かってに行動したんじゃ。今すぐはずせ。」(同月一三日午前九時一〇分から九時四〇分までの間における尾形組合員に対する磯崎駅長の発言)、「それについて何だかんだの処分があっても、それは覚悟してるわけだね。」、「私が処分するわけじゃないから、上の人の見解だからね。上でも名前あげろと言ってんだから。それについてどういう形でくるか分かんないけどもね。就業規則だって読んだと思うけど、こういう規則、こういうものに違反した者については懲戒するって文面、見たはずだけど、あすこにでかいの貼ってあるでしょう。見ているでしょう。」(同北村助役の発言)(乙第五三号証、第三一九号証)
③ 「今日はすぐ外して。自分のためだ。おかあちゃんや子供に高い給料持って行ったほうがいいんじゃないの、処分もらって給料下げられるより。」「出札やりたいと言えば、出札入れてやってもいいよ。……ちゃんとバッジとって、言うことを聞いてくれりゃ。」(同月一六日午前一〇時から一〇時三〇分までの間における武原正男国労組合員に対する北村助役の発言)(乙第五四号証)
④ ほかにも、「今後は、会社だから試験制度になる。その時は一切推薦しないぞ。担務変更するぞ。配転するぞ。君は小山から出てきているが、通勤が大変だろう。通勤できない所に飛ばされてもいいのか。」(小宮山組合員に対する北村助役の発言)、「分会から圧力があるのか。誰が指示している。出札でバッジを取れなかったら他にまわそうか。改札に行くか。」(城戸組合員に対する磯崎駅長の発言)、「君は以前、改札にまわされた経緯があるが、また行くか。」(同北村助役の発言)、「誰の指示か。誰に言われてやっているか。今の会社は親方日の丸ではない、今すぐ外せ。バッジに対するお客の判断などは関係ない。担務変更、転勤もありえるぞ。伊藤、山田が言ってきたら俺の所に言いに来い。」(岡組合員に対する磯崎駅長の発言)、「処分されても組合はかばってくれない。」(同北村助役の発言)、等の発言があった(乙第五七号証)。
(3) 北村助役らは、同年七月二八日午前九時五分ころ、改札口で改札業務遂行中の尾形組合員に対し、利用客がいるにもかかわらず、強い口調で本件組合バッジの取り外しを求めている(乙第三一九号証)。
(二) 横浜駅
(1) 原告の横浜駅は、本件命令申立時、社員数が二〇〇名弱、うち国労組合員が、五七名であった。
同駅に勤務する国労組合員約二五名は、昭和六二年四月一日に原告会社が発足してからも、本件組合バッジを着用して勤務していた。同駅の木内駅長らは、本件組合バッジを取り外すよう指導を繰り返し、これらの者は、同月一一日までに同バッジを取り外した。
しかし、これらの国労組合員のうち、一九名に対して本件訓告又は厳重注意の処分がなされた。
横浜駅の管理者は、同年五月ころから、国労マーク入りのネクタイ、ネクタイピンについても取り外しを指導するようになった。この時期、助役代理の長峰営業主任は、連日のように国労組合員が業務中の改札ラッチに来て、「国労マークの入ったものはすべてとれ」「おめえなんかやめちまえ、手続は俺がとってやる」「(黒のマジックを持って)これで(ネクタイの国労マークを)消せ」「消さないとくびだ」等と大声を出した。
(乙第一六三号証、第一八七号証、第一九一号証、第三二四号証、第三二七、第三二八号証)
(2) 住吉正人国労組合員は、昭和五〇年四月に国鉄に採用され、北海道の函館電気区で電気設備の保守、検査等の業務に従事していたが、国鉄の分割民営化に伴い、昭和六二年五月二八日に原告横浜駅の営業係勤務となった(乙第一六三号証、第三二四号証)。
横浜駅の管理者は、住吉組合員に対して次のような対応をした。
① 住吉組合員が横浜駅に着任した昭和六二年五月二八日、同人が本件組合バッジと国労マーク入りのネクタイを着用して着任の挨拶のため同駅の駅長室に行ったところ、田中助役らは、同バッジと同ネクタイを取り外すよう指導した。同人はその場で本件組合バッジを取り外したが、次の勤務日に再び同バッジを着用して出勤すると、運転主任は同様に点呼時に取り外しを指導した。(乙第一六三号証、第一七一号証、第三二四号証)
② 同年九月一日午後一一時三〇分ころ、中田助役及び平富輸送主任は、住吉組合員に対し、「組合マークの入っているものはすべて認められない、社の方針だからそのネクタイとタイピンをはずしなさい。」「憲法や法律は関係ない、おとなしく従えばいいんだ。」などと述べ、国労マーク入りのネクタイやネクタイピンを取り外すよう求めた(乙第一六三号証、第一七一号証、第三二四号証)。
③ 同月七日午後三時五分から二〇分にかけて、臼井及び斉藤の両助役は、住吉組合員に対し、国労マーク入りのネクタイやネクタイピンを取り外すよう強い口調で求め、「憲法なんか関係ない。言われたことに従えばいいんだ。業務命令を出すぞ」と述べた。住吉組合員が「じゃあ出したらどうですか。」と言うと、「いや、出さない。」と前言をひるがえしたうえ、斉藤助役は胸を近づけるような恰好をとりながら「お前みたいなものは会社をやめちまえ。」などと言った。(乙第一六三号証、第一七一号証、第三二四号証)
④ 同月一〇日午前九時ころ、関戸及び山本の両助役は、住吉組合員に対し、「君は上司の作業指示に従っていないそうだね。」「そのネクタイだ。外しなさい。お前は憲法云々などと言っているそうだが、そんなことは関係ない。外しなさい。」などと述べた。住吉が「従えるものと従えないものがある。」と言うと、関戸助役は「社の方針だ。上司の命令に従え。」「いうことをきかないからお前は希望の職場にいけないんだ。」などと述べた。(乙第一六三号証、第一七一号証、第三二四号証)。
⑤ 同月一二日午後二時ころ、木内駅長、関戸及び臼井の両助役は住吉組合員に対して国労マーク入りネクタイを外すよう求め、同駅長は自分の言うことはすべて業務命令である旨述べた(乙第一六三号証、第一七一号証、第三二四号証)。
⑥ 田中助役は、住吉組合員に対し、同人が横浜駅の管理者の指導等を拒絶したことを理由として、同人の勤務日である同月一四日、一八日、二〇日、二一日、二三日、二四日及び二五日の七回にわたって、いずれも午前九時ころから午後五時ないし五時三〇分ころまで、同人が従来従事していた電車の扱い、整理、案内放送等の駅のホーム担当業務から外し、駅長事務室において助役ら監視のもと原告の就業規則を一字一句書き写すことを命じた。住吉組合員は、不本意ながらこれに従った。(乙第一六三号証、第一六五ないし第一六七号証、第一六八号証の一ないし三、第一六九号証、第一七一号証、第一八二号証、第三二四号証)
⑦ 同年一〇月一日午前九時ころの始業点呼の際、臼井助役が住吉組合員に「国労バッジを外しなさい。」と指導したのに対し、同人が「憲法で認められた権利であり、外しません。」と答えたところ、同助役は、「現認する。業務命令違反だ。」と通告し、住吉組合員に就業規則の書き写しを命じた。
午前九時一〇分ころ、就業規則の書き写し作業を行おうとした住吉組合員に対し、木内駅長は、「国労バッジを外しなさい。まだそんなものを着けているのか。業務命令だ。」と言った。これに対して住吉組合員は、「外せない。」と答えたところ、同駅長は、「従えないのなら家へ帰れ。業務を否認する。五分時間をやる。考えなさい。」と言った。
午前九時一五分ころ、臼井助役は、住吉組合員に対して「(国労バッジを)外さないのなら九時一五分、業務否認。家へ帰れ。」と命じた。
なお、その後、原告は右業務否認の措置を撤回している。
(乙第一六四号証、第一七〇号証、第一七二号証、第一八二号証、第三二四号証)
(三) 中原電車区
中原電車区では、国労組合員の運転士に対する始業点呼の際に、管理者が安全運転のための注意事項を述べず、乗務手帳に印鑑を押さずに組合バッジの取り外しを指示したり、始業点呼の際に運転士が組合バッジを取り外さないと、管理者が運転席に同乗し、運転業務中の運転士に対して組合バッジの取り外しを指示するということがあった(証人佐々木輝雄の証言)。
(四) 桜木町駅
桜木町駅では、国労組合員が点呼の際全員のいるところで組合バッジを外すよう言われたり、その際取り外しに応じない者については、一人一人駅長室に呼ばれて取り外しを指示された。また、ヒヤリングなどの様々な機会に、駅長が、組合バッジを取り外さなければボーナス、昇給にペナルティーがあるなどと発言し、改札中やホームで立ち番の業務中に本件組合バッジを取り外すよう指導された国労組合員もいた。また、他の現場と同様に、本件組合バッジのほか、国労マーク入りのネクタイ、ネクタイピン、ボールペンについても取り外すように言われている。宿舎に入る希望を出したところ、「バッジを付けていると、何か交換材料がなければ宿舎に入れない」と言われた組合員もあり、その組合員は国労マーク入りネクタイを外したところ、宿舎に入ることができた。(証人上野文彰の証言)
中田酵一組合員は、昭和六二年五月一八日午前一〇時から二時間、会議室で一人で就業規則を読まされ、感想文を書くようにと指示された。駅長室に戻ったところ、村山工事助役等から「我々としては、はっきり言って、上司の命令、指示に従わない社員は必要としませんので、とりあえず担務変更・配転などを行い、社員に反省を求めます。それでもその社員が一向に改善・意識改革をしなければ、要員機動センターから出向・休暇を経てクビにするしかありません。」などと言われた。(乙第六四号証の三六)
昭和六三年当時の管理者のメモには、中田、遠藤、宮内などの組合員について「組合バッジ着用」「組合意識強い」「改革する意志なし」との記載があり、また、小峰組合員について「バッジ以外は身だしなみ申し分ない。……何とか意識改革させたい」「転出すれば、職場の雰囲気で改革できると思う」などの記述がある(丙第一四六号証、証人上野文彰の証言)。
(五) 小田原電力連合分会
小田原電力連合分会は、電車に電力を供給する架線の保守、高配設備、変電所設備の保守・工事、電力配給の指令・制御などを行う小田原電力区、平越塚電力区及び熱海電力区の三電力区の国労組合員で構成される分会であり、駅などの営業職場と異なり、事故等の際に旅客を誘導する場合等の例外的場合以外は、旅客に接することはない。
分割民営直後から組合バッジの取り外しが命じられるようになり、毎朝の点呼で個別に外せという指導が行われ、外さないでいると区長と助役が二、三名で取り囲み、大声で「外せ」と迫り、一日三回注意して外さなければ上に報告するなどと言われたこともあった。
このうち平塚電力区においては、平成元年頃、当時の瀬戸区長が六回位にわたって、取り外しに応じなかった深谷組合員及び飯野組合員に対し就業規則の書き写しを命じた。本件組合バッジを外さない深谷組合員に対し、「直流電化と交流電化のいい点と悪い点を調べる」というような資料さえあれば数日で十分できる作業を一か月かけてやらせたこともあった。
(丙第一四八号証、証人武井正人の証言)
(六) 要員機動センター
要員機動センターは、国鉄末期に、波動的な要員、一時的な欠員、年休の対応など、いわゆる助勤に応ずるため設置された職場であるが、そこに配属された職員は国労活動家がほとんどである。東京要員機動センターの神奈川における支所として横浜支所、小田原支所があるが、横浜支所職員四八名中管理者五名及び営業係一名を除く残りは国労組合員であり、その中でも国労活動家が多く、小田原支所職員二四名中管理者三名を除く全員が国労組合員で活動家である。要員機動センターでは、職員は毎日年休発生などにより生じる欠員の状況に応じて各駅に直行し、制服の入ったバッグを持って各駅に通うこととなり、また、各駅の勤務の都合により勤務の変更が生じるなど不規則な勤務であって、各駅の業務内容も細かく異なっている。(丙第一五七号証、第一五九号証、証人中村喜嗣郎の証言)
要員機動センターにおける組合バッジに対する指導は、そこに所属している国労組合員がいわゆる活動家であることから逆に厳しいものではなく、せいぜい管理者が助勤先の見回りの際に注意する程度であった(乙第六四号証の四二七、証人中村喜嗣郎の証言)。
これに対し、勤務先又は見習い先において助勤先の管理者が組合バッジを問題にしたことは数多くあった。中村喜嗣郎組合員は、見習い期間の昭和六二年六月一五日に、逗子駅で同駅武藤助役から「国労マーク入りネクタイとネクタイピンをつけている職員はこの駅で働いてもらわなくていい」と言われて就労を拒否されそうになり、同助役が代わりのネクタイを持ってきたが、結局見習いという立場から不本意ながら外さざるを得なかった(乙第六四号証の一、証人中村喜嗣郎の証言)。宮ケ中組合員は、横浜駅で、木内駅長から本件組合バッジを外さなければ勤務を否認するとして要員機動センターに帰るように言われ、その後就業規則の音読を命じられた(乙第六四号証の八一)。河津組合員は、矢向駅に助勤に行った際、大久保駅長から本件組合バッジを外すよう命じられ、午前中仕事を与えられなかった(乙第六四号証の四二七)。同年四月一日、熱海駅で、自動販売機の案内業務を行っていた小田原支所の組合員が、本件組合バッジをとれと言われても外さなかったことから、午後に支所に帰され、翌二日に同駅に助勤に行った組合員は組合バッジを外さないということで、熱海駅の会議室で時刻表の勉強をさせられた(証人鈴木伸一の証言)。新宿駅に助勤に行った国労組合員は同駅牛木首席助役から本件組合バッジの着用を理由に勤務から外された(乙第六四号証の一八五)。平成四年一二月五日に、徳竹組合員が関内駅で助勤業務の際、本件組合バッジをつけていたため出札業務を外された(丙第一六二号証、証人中村喜嗣郎の証言)。
(七) その他の事業所における指導状況には次のようなものがあった。
(1) 利用者の面前での注意・指導
駅の出札、改札、ホーム職員、売店などの事業部で働いている者など旅客に接する部署の国労組合員に対し、仕事中に旅客のいる前で組合バッジを外せと何回も注意する(乙第六四号証の七、一八、八二、九八、一八七、四三二)。
(2) 不利益処遇の示唆
本件組合バッジ着用によって、解雇、出向・配転、担務変更や、昇給・昇格、宿舎入居等における不利益処遇のあることを示唆する(乙第六四号証の五、三四、三六、五四、五五、一〇〇、一四〇、二二八、二三〇)。
(3) 就業規則の朗読・書き写しの業務命令
国労組合員が「なぜバッジがいけないのか」と質問したところ、翌日から一か月間にわたり再教育と称して勤務から外され、就業規則の書き写しなどをさせられたり(乙第六四号証の四六)、「就業規則を知らないならこれを読みなさい」と就業規則二〇条を大きくコピーした用紙を渡して読まされた(乙第六四号証の七九)。
(4) 駅長室等における長時間の取り外し指導
駅長室に呼び出し、または複数の管理職で取り囲んで組合バッジを外せと怒鳴る等して威嚇することもあった。田浦駅では、駅長室で、取り外さなければ配転もありうると大声で約二〇分間、執拗に本件組合バッジの取り外しを指導した(乙第六四号証の三四)。戸塚駅では、駅長室で一人一〇分ないし三〇分間組合バッジの取り外しを指導した(乙第六四号証の二七)。桜木町駅でも、業務中に駅長室に呼びつけられて服務規定の条文を読まされたり、一日中会議室で条文を読まされて、感想文を書かされた(乙第六四号証の三七)。
(5) ネクタイ・ネクタイピン・ボールペン等の国労マークに対する指導
戸塚駅では、昭和六二年六月末ころ、工事助駅が国労マーク入りのボールペンを見て「そのボールペンを外して下さい」と言ったのに対し、国労組合員が「なぜボールペンをはずさなければいけないのか、業務に必要ではないか」と反論したところ、工事助役は「ボールペンはつけてもいいのだけれど、このマークがついているといけない」などと発言した(乙第六四号証の二九六)。鶴見駅では、同年九月に入ってから、国労マーク入りのボールペンに対し、小松助役が「ボールペンは内側のポケットにするように」などと発言するようになった(乙第六四号証の四七二)。矢向車掌区では、国労組合員の大半が不利益処分を回避するため本件組合バッジを外す中で、国労組合員であるという目印に車掌の腕章を止める安全ピンの色を黄色に統一したところ、車掌区の管理職は「それもダメだ、はずせ」と無色のピンを配り着けかえるよう指示し、また、食堂に共用として置いてある転勤者からの寄贈のポット(国労分会とマジックで書いてある)まで置いてはいけないと指示した(乙第六四号証の四八九)。
7 神奈川県近辺の私鉄のうち、箱根登山鉄道、江ノ島観光電鉄、臨港バス交通、東武交通、帝都高速度交通営団、東京急行、京成電鉄、京浜急行、京王帝都、小田急及び相模鉄道の各労働組合の組合員らは、いずれも就業時間中に当該組合所属を表示する組合バッジや私鉄総連の定めた統一組合バッジ(横1.3センチメートル、縦0.8センチメートル、緑と赤地又は黒地にPRUの文字が入ったもの)を着用していることがあり、これに対して各使用者はその着用を禁止しておらず、右着用を理由に懲戒処分等の不利益取扱いもしていない(乙第二一号証の一ないし三、丙第一三七号証)。
二 以上認定の事実をもとに、以下検討する。
1 就業規則二〇条三項について
(一) 本件組合バッジが就業規則二〇条三項に定める「会社の認める以外の胸章」に該当することは明らかである。
ところで、鉄道事業は、国民の社会、経済等日常生活に密着した欠くことのできない公共交通手段で、鉄道による運送という役務の提供が不特定多数の利用客に対する給付の内容となる極めて公共性の高い事業であり、かつ、旅客の生命、身体、財産にも直接かかわる事業であることから、関係法令は、鉄道事業を免許制として規制する等して、事業の適正かつ合理的な運営を図ることにより、利用客の利益を保護するとともに、鉄道事業等の健全な発達を図ることとしているのである(鉄道事業法一条)。そして、鉄道営業法二二条は、「旅客及公衆ニ対スル職務ヲ行フ鉄道係員ハ一定ノ制服ヲ著スヘシ」と規定するのであるが、その趣旨は、直接輸送の安全とサービスの任務に携わる乗務員等を他から識別させるとともに、乗務員等に対し事業の公共性とその任務の重要性を認識させ、自らの職責に対する自覚を高めることにより、輸送の安全と良質なサービスの維持を図ろうとするにあると解される。就業規則三条一項が「社員は、会社事業の社会的意義を自覚し、会社の発展に寄与するために、自己の本分を守り、会社の命に服し、法令、規程等を遵守し、全力をあげてその職務の遂行に専念しなければならない。」と規定し、二〇条がその一項において「制服等の定めのある社員は、勤務時間中、所定の制服等を着用しなければならない。」と定め、二項において「社員は、制服等の着用にあたっては、常に端正に着用するよう努めなければならない。」と定めるのも、右に述べた趣旨に基くものと解され、同条三項が「社員は、勤務時間中に又は会社施設内で会社の認める以外の胸章、腕章等を着用してはならない。」と規定するのは、右一項及び二項の規定と相まって、制服等の定めのある社員はもとよりその定めのない社員も、利用客に不快感を与えたり、職場規律の弛緩によって利用客の生命、身体、財産が脅かされる事態の生じることがないよう社員の服装を規律し、服装の面から職場規律を確立するとともにその維持を図ろうとしたものと解される。一方、一般に労働者がどのような服装で就労するかは、基本的には原則として労働者の自由な判断に委ねられているというべきであるから、本件組合バッジの着用が就業規則二〇条三項の定めに違反するかどうかは、単に本件組合バッジが右にいう「胸章」に該当するかどうかによって決するのではなく、「胸章」に該当する本件組合バッジを着用することにより、利用者に不快感を与えたり、職場規律の弛緩を招くことになって右規定を設けた趣旨にそれない結果になるか否かによりこれを決するのが相当というべきである。
(二) 本件組合バッジは、縦1.1センチメートル、横1.3センチメートルのほぼ正方形で、黒地に金色のレールの断面と「NRU」の文字をデザインしたものであり、その形状、色彩、大きさからみて、これを制服の襟等に着用しても取り立てて目立つようなものではなく、これを見る一般人が特に違和感を覚えるような特徴点もないため、これを襟等に付けていることにより利用客などが不快感を抱くとも考え難いし、乗務員等の識別に影響を与えるものともいえない。
本件組合バッジは、リボン・ワッペン等が組合の特定の目的を達成するための闘争手段として用いられるのとは異なり、平常は闘争的色彩を帯びないものである。リボン・ワッペンの着用は、組合の闘争指令に基づき、使用者に対する積極的な抗議意思や要求事項を表示する闘争手段として用いられるものであるが、組合バッジは、闘争時に限らず、制服等に常時着用されるものであって、そこには所属する組合が表示されているにすぎず(しかも、国労を指す「NRU」が一般に周知されているとはいい難い。)、もとより抗議意思や要求事項の表示はない(国労は、国鉄の分割民営化方針等に抗議して、昭和六〇年と昭和六一年にワッペン着用闘争を行ったが、これに対して国鉄は、戒告、訓告等の厳しい処分で臨んだ。また、国労は国鉄末期に本件組合バッジの着用について指令・指示を発しているが、国労組合員は、右指令・指示が出される以前から自発的に着用していたものであり、国労の右指令・指示によって初めて着用するようになったものではない。)。
そして、これまで利用客から本件組合バッジの着用に対する苦情は特になく、本件組合バッジの着用により、職場で従業員の対立や混乱が生じたこともなかった(多年にわたる国鉄時代において、併存組合の組合員らがそれぞれ組合バッジを付けていた職場でも、特に組合バッジが存在するために紛争が生じたとの事実は認められない。)。そうすると、服装の整正の観点から見る限り、本件組合バッジの着用によって、利用客に不快感を与えたり、職場規律の弛緩によって利用客の生命、身体、財産が脅される事態が生じたことはないし、その着用がそれらの虞を生じさせるものでもないというべきである。
(三) 更に、神奈川県近辺の私鉄の多くは、各労働組合の組合員らが、就業時間中に当該組合所属を表示する組合バッジや私鉄総連の定めた統一組合バッジを着用していることがあり、これに対して会社側はその着用を禁止しておらず、右着用を理由に懲戒処分等の不利益取扱いもしていない。このことは、かつての国鉄も例外ではなく、動労、鉄労等の国労以外の他の組合員もそれぞれ自己の属する組合の組合バッジを着用していたが、国鉄は、就業規則等の規定の上からは、組合バッジの着用を禁止することも可能であったのに、リボン・ワッペン等に対する措置とは異なり、組合バッジの取り外しを指導したり、その着用を理由に処分したことは一度もなかったのである。そして、国鉄は、昭和五七年三月から昭和六〇年九月まで八次にわたり職場規律の総点検を行ったが、その調査項目は具体的かつ多岐にわたっているものの、その中にリボン・ワッペンの着用状況にかかる項目はあったが、組合バッジの着用状況に関する項目はなかった。また、国鉄と鉄労、動労及び全施労が昭和六一年一月一三日に締結した第一次労使共同宣言において労使が一致協力して取り組むこととした項目の中にリボン・ワッペンの不着用は掲げられていたが、組合バッジについては触れられていなかったし、国鉄が昭和六一年三月五日に、分割民営化に先立ち職員の勤務実態を把握する目的で作成方を通達した職員管理調書の調査項目の中で、リボン・ワッペン等は対象とされていたが、組合バッジの着用についてはなんら言及されていなかったのである。
以上からみて、国鉄当局も、本件組合バッジの着用が服装の規制に違反するものとは認識していなかったと窺うことができるのである。
(四) 以上の検討によれば、本件組合員らによる本件組合バッジの着用は、実質的にみて、就業規則二〇条三項に違反するとはいえない。
2 就業規則二三条について
(一) 労働者は、所定の勤務時間中は使用者の指揮命令に服して労務を提供すべき義務を負うから、勤務時間中の組合活動は、原則として右義務に違反するものとして正当性を有しないが、勤務時間中の組合活動であっても、労働者の労務の提供に支障を与えず、使用者の業務の運営に障害を生じさせるものでない場合には、例外的に正当性を肯定するのが相当である。
これを本件組合員らによる本件組合バッジの着用についてみるに、本件組合バッジは、その着用者が国労組合員であることを表象するとともに、これを着用することによって着用者に国労への帰属意識を持たせ、国労組合員の団結意思を確認し、団結心を高める心理作用を営むものといえるから、本件組合員らが勤務時間中に本件組合バッジを着用した行為は、形式的には、就業規則二三条所定の勤務時間中の組合活動に該当するといわざるを得ない。
(二) そこで、勤務時間中の組合活動に該当する本件組合員らによる本件組合バッジの着用が、例外的に正当性を肯定すべき場合に該当するか、否かについて検討する。
(1) 本件組合バッジの形状は先に見たとおり小さくて目立たないものであり、具体的な主義主張や要求事項が表示されているわけではなく、レールの断面を図案化した絵柄に国労を表すNRUのイニシャルが付されたものにすぎない。その着用は、組合員が着用している制服の襟又は胸にバッジが付いているという静的状態であって、国労への帰属意識、団結意思の確認、団結意思を高める心理作用とはいっても、それらが本件組合バッジによって象徴されるというにすぎず、そのための特段の身体的又は精神的活動を必要とするものではないから、職務に対する精神的集中を妨げるものとはいえない。しかも、本件組合バッジが国労の組合員であることを表象するものであることが一般に周知されていたことを示す証拠もないから、本件組合員らがこれを着用して業務に就いたとしても、物理的にも社会的にもその労務の提供を妨げたり、疎かにし又は誤らせる虞を生じさせるようなものではない。すなわち、本件組合バッジの着用は、本件組合員らの労務提供義務の履行と支障なく両立するものと認められるのであるから、その着用自体が原告の業務の運営に障害を生じさせるものとはいえない。したがって、本件組合員らによる本件組合バッジの着用は、例外的に正当性を認められる場合に該当するものと解するのが相当である。
(2) 前記認定の事実によると、国鉄は、臨時行政調査会の分割民営化等の答申を受けた政府の対応や職場規律の乱れに対する世論の厳しい批判から、職場規律の是正が国鉄再建の基盤であるという認識に立って、職場規律の確立のために具体的方策を掲げてこれに対する取り組みを続けていたが、国労は、昭和六〇年に分割民営化反対を掲げてワッペン着用闘争を実施するなどしてこれに強く抵抗してきたこと、国鉄当局は、右闘争に対し、約五万九二〇〇名規模の戒告、訓告等の大量処分でこれに応え、昭和六〇年一二月一日の雇用安定協約の失効と無協約化、昭和六一年一月の国労による労使共同宣言受諾拒否、同年三月四日の国労の反対を押し切っての国鉄による広域異動の実施という経過を経て、国鉄と国労との対立はますます激化していったこと、国労は、同年四月一〇日から三日間、分割民営化方針に抗議してワッペン着用闘争を実施したところ、国鉄は、同年五月三〇日参加者約二万九〇〇〇名を戒告及び訓告処分にしたこと、国鉄は、同年七月一日余剰人員を固定化しないという従来の運用に反するとの国労の反対を押し切って人材活用センターを設置したが、同センターに配置された職員の約八一パーセントが国労組合員であったこと、そのような中で、鉄労及び労使協調路線に転換した動労、全施労の大会や集会において、国鉄幹部による、国労の方針を批判したり国労を敵視する発言が目立つようになっただけでなく、右三組合幹部も相互に来賓挨拶を交わすなどして、互いに友好関係を強調するとともに、国労に対する攻撃的姿勢を明確にしたこと、国労執行部は、このような情勢から、路線転換を図るべく、修善寺大会を開催したが、執行部方針が否決される事態となって路線転換がかなわず、分裂への歩みを始めたこと、昭和六二年二月二日には鉄道労連が、同月二八日には国労を脱退した旧主流派による鉄産総連がそれぞれ結成され、同月一六日には新企業体による不採用者の多くが国労組合員であることが明らかになったこと、同年三月二三日には、東日本旅客鉄道株式会社設立準備室から組合バッジを外して社章を着用させることとする方針が示され、また、同日就業規定が制定され同月三一日までに国鉄の関係箇所に備え付けられたこと、東京地本は、昭和六一年一〇月三一日の指令に続いて、原告会社発足前日である昭和六二年三月三一日、組合員に対し、本件組合バッジの全員完全着用の徹底を指示したこと、等の各事実が認められるのである。
本件組合員らによる本件組合バッジの着用は、もともとは日常的な国労に対する帰属意識から自発的になされていたものであるが、右に概観した労使の対立が極に達した中で東京地本の全員完全着用徹底指示が発せられたのであって、これにより本件組合バッジ着用が東京地本の指示に基く着用という性格を帯びたことは否定できない。しかしながら、本件組合バッジの着用が組合員の自然な国労帰属意思の発露であれ、東京地本の指示に従ったものであれ、外形的な行為としては何も変わりはなく、したがって、東京地本の指示に従った着用であったとしても、それにより、本件組合員らの労務提供義務の履行が妨げられたり、疎かになったりするものではないのである。もっとも、本件組合員らの本件組合バッジ着用に対し、原告職制により、就業規則に違反するとしてその取り外しの指示、指導がなされたこと及びその過程において労働の現場で混乱が見られたことは先に認定したとおりである。しかし、本件組合バッジの着用自体が労務提供義務の履行に何らの影響を与えるものでないことは右に述べたとおりであって、そうであるとすれば、本件組合バッジの着用が正当性を認められない組合活動とはいえないのであるから、原告職制による執拗な取り外しの指示、指導により混乱が生じたからといって、正当性を肯定される組合活動がその正当性を失うことにはならないというべきである。
3 就業規則三条一項について
就業規則三条一項は、「社員は、会社事業の社会的意義を自覚し、会社の発展に寄与するために、自己の本分を守り、会社の命に服し、法令、規程等を遵守し、全力をあげてその職務の遂行に専念しなければならない。」として、社員の職務専念義務を規定している。右の職務専念義務は、原告と社員との間の労働契約に基くものであるから、労働契約上要請される労務提供を誠実に履行する義務を意味すると解するのが相当である。そして、その専念義務の具体的内容は、当該具体的な労務提供義務を誠実に履行する上で必要な限度において考慮すべきであって、勤務時間中における職務以外の身体的活動及び精神的活動であっても、およそ右の義務に違反しないとされるものがあることは否定できないのであるから、身体的であると精神的であるとを問わず、社員は勤務時間中すべての活動力を職務のみに集中し、職務以外のことには一切注意力を向けてはならないというような、いわば全人格的な従属関係を肯認することはできない。右にいう職務専念義務の違反が認められるためには当該活動が労務提供義務の誠実な履行を妨げ、又は疎かにする客観的な虞がある場合でなければならないと解するのが相当である。したがって、職務以外の社員の身体的、精神的活動であっても、労務提供義務の履行としてなすべき身体的、精神的活動と矛盾なく両立し、かつ、業務を阻害する客観的な虞のない場合には、職務専念義務に違反するものということはできない。
これを本件についてみるに、前記説示のところから明らかなように、本件組合バッジの着用は、本件組合員らの労務提供義務の誠実な履行と矛盾なく両立するものといえるし、原告の業務を阻害する客観的な虞があるとはいえないから、本件組合員らが本件組合バッジを着用したことが就業規則三条一項の職務専念義務に違反するということはできない。
4 不当労働行為の成否について
(一) 右3の検討の結果によると、本件組合員らによる本件組合バッジの着用は、原告の就業規則二〇条三項、二三条及び三条一項のいずれの規定にも実質的に違反するものとはいえない。したがって、原告が行った本件組合員らに対する本件組合バッジ取り外しの指示、指導、本件処分及び本件減額措置等の一連の措置は、原告会社における職場規律の確立、維持を目的としたものであるとは認められるものの、就業規則上の正当な根拠を欠くものといわざるをえない。
(二) そこで、原告による右一連の措置が不当労働行為意思に基いてなされたものかどうかについて検討する。原告は、国鉄とは別個の法主体ではあるが、国鉄が行っていた事業を承継した会社であり、昭和五七年七月三〇日に臨時行政調査会が行った答申、その後設置された日本国有鉄道再建監理委員会が昭和六〇年七月二六日に政府に提出した「国鉄改革に関する意見」等によって国鉄の分割民営化の方針が集約化され、国鉄は右方針にそって諸施策を実施してきたものであるから、右の検討にあたっては、原告会社発足に至るまでの国鉄時代の労使関係を無視することはできない。
(三) 右期間における経緯をみると、国労は、一貫して国鉄の分割民営化方針に反対し、国鉄が行った職場規律総点検の実施、余剰人員対策としての広域異動、人材活用センターの設置等にことごとく反対し、ワッペン着用闘争を行ったこともあった。国鉄は、これら国労の争議行為等に対して、その都度、戒告、訓告等の処分を行ったが、他方、国労及び全動労を除く組合とは、昭和五七年一一月三〇日に「現場協議に関する協約」の改訂を行い、昭和六〇年一一月三〇日に雇用安定協約の再締結を合意し、その後二度にわたり労使共同宣言を締結して、労使協調関係を強めていった。右「現場協議に関する協約」の改訂以降、国労及び全動労を除く組合は争議行為を行わなくなった。昭和六一年七、八月に開催された動労、鉄労及び全施労の右各定期大会に、各組合の代表者はそれぞれ相互に来賓として挨拶し、志摩鉄労書記長は、国鉄労働運動を形骸化し、多くの労働者に雇用不安をかもし出した国労運動を打倒する闘いを追求していきたい旨、杉山全施労委員長は、国鉄改革に反対する国労は今や崩壊寸前であり、力を合わせて国労解体を更に促進すべき旨、松崎動労委員長は、駄目な労働組合には消えてもらうしかなく、駄目な組織はイジメ抜く旨述べて、ともに国労への激しい敵意を示し、国労の壊滅に向けて取り組むことを表明した。杉浦総裁は、右各定期大会に出席し、その席上右各組合の路線を高く評価するとともに、国鉄改革に対する協力を感謝する旨の発言を行った。更に、国鉄は、国労及び動労に対し昭和五一年二月に提起したいわゆるスト権スト二〇二億円損害賠償請求訴訟について、昭和六一年九月三日、動労に対する訴えを取り下げた。人材活用センターに配置された職員の殆どは国労組合員が占めており、新企業体による国鉄職員の採用にあたっても、不採用となった職員は国労組合員が多数を占めた。以上の経緯からみて、国鉄と国労の労使関係は厳しい対立状態にあり、国鉄は、鉄労、動労等の組合と協調関係をとって、国労を孤立化させる労務政策をとり、国労との対立状況の中で国労への嫌悪を強めていったものということができる。このことは、昭和六一年二月二五日に行われた鉄労、動労及び全施労の共同宣言三組合と国鉄幹部との労使懇親会における杉浦総裁の「総領の甚六というが、体の大きいのはなかなか言うことを聞かない。その点、二男、三男、四男は目から鼻に抜ける賢さを持っている。」「皆さん、親の手に負えなくなった兄貴を、ひとつ導いてほしい。……三兄弟のますますの発展を……」との発言、澄田常務理事の「お互い同志的団結を固めたい」との発言、同年五月二一日に開催された動労東京地方本部各支部三役会議における葛西職員局次長の「レーガンがカダフィーに一撃を加えました。国際世論はしばらく動きがとれなくなりました。私はこれから、山崎(国労委員長)の腹をブンなぐってやろうと思っています。……不当労働行為をやれば法律で禁止されていますので、私は不当労働行為をやらないという時点で、つまり、やらないということはうまくやるということでありまして……」との発言、昭和六二年二月二日に一企業一組合の実現を目指して結成された鉄道労連の結成大会において採択された「国鉄改革に反対する不良職員が採用されるということを断じて許さない。改革に努力している職員と妨害している職員とを区別することを強く主張し、具体的な処置を求め、全力をあげて闘う。」旨の「新会社の採用・配属に関する特別決議」と、それを受けて同日の祝賀レセプションにおいてなされた杉浦総裁の「今夜は二乗、三乗に画期的で歴史的な日である。……二、三日前に職員の意思確認調書の集計を発表したが、当初の予想と違った結果が出ている。しかし皆さんと歩んできた方向は全然変わらない。新局面に対応して皆さんの努力に応えるように考えていきたい。」との発言から、容易に読み取ることができるのである。
(四) 次に、原告発足後においてなされた原告会社幹部の発言を検討する。住田社長は、昭和六二年八月六日に鉄道労連下部組織の東鉄労第二回定期大会において、「今後も皆さん方と手を携えてやっていきたいと思いますが、そのための形としては一企業一組合というのが望ましいということはいうまでもありません。東鉄労以外にも二つの組合があり、その中には今なお民営分割反対を叫んでいる時代錯誤の組合もあります。皆さんにお願いしたいのですが、このような迷える小羊を救ってやって頂きたい。皆さんがこういった人達に呼び掛け、話し合い、説得し、皆さんの仲間に迎え入れて頂きたいということで、名実共に東鉄労が当社における一企業一組合になるようにご援助いただくことを期待し、……」と述べ、松田常務取締役(現在は社長)は、昭和六二年五月二五日の昭和六二年度経営計画の考え方等の説明会において、労務管理について触れ、「二か月経ったから遠慮なく申すが、もう我慢できない。非常に危険な状態になっている。当分は立ち上がって闘う必要がある。……会社にとって必要な社員、必要でない社員のしゅん別は絶対に必要なのだ。会社の方針派と反対派が存在する限り、とくに東日本は別格だが、おだやかな労務政策をとる考えはない。反対派はしゅん別し断固として排除する。等距離外交など考えてもいない。処分、注意、処分、注意をくり返し、それでも直らない場合は解雇する。」と述べ、本件処分の後である昭和六二年六月二〇日の鉄道労連高崎地方本部主催の学習会においては、組合バッジ着用について触れ、「会社を破壊しようとする者がいれば、私が先頭に立って闘う。……組合バッジは、労働運動の現れである。現れでも何でもいい。……就業規則で認めていないことが何で労働運動なのか。従って、今度は、人事部長名であらゆる所に掲示して、宣戦布告し、個人説得をする等してそれでもいう事を聞かない者には処分という形で警告を与えた。しかし、これで終わりではない。どしどしやっていかなければならない。どうしても一緒にやっていけない者は解雇するしかない。」と述べていることが認められる。原告幹部によるこれらの発言は、国労に対する敵意と嫌悪感に満ちたものというべきであって、承継法人である鉄道会社の国労以外の労働組合が組合の分合により鉄道労連(鉄労、動労、日本鉄道労働組合<旧真国鉄労働組合、全施労>、鉄道社員労働組合)との鉄産総連との二組織体になっていたことをも併せて考慮すると、原告は、一企業一組合が望ましいと考えており、鉄道労連下部組織の東鉄労が国労組合員に対して脱退を説得する等の働きかけをしてもらいたいと期待していたこと(住田社長の発言)、原告の労務政策は、会社の方針に反対する国労組合員は必要ではないから、処分や注意を繰り返しても反対するのであれば解雇して排除するというものであったこと、本件組合バッジ取り外しの指示は国労に対する宣戦布告であり、本件処分は警告であってこれからも処分していく方針であったこと(松田常務取締役の発言)が認められる。これらの事実から、原告としては、原告の方針に反対している国労の解体ないしは弱体化を望んでいたことが明らかである。
(五) 更に、本件組合員らに対する現場管理者や末端職制による本件組合バッジ取り外し指導等の状況について検討するに、これらについては第三の一の6の(一)ないし(七)において認定したとおりである。鎌倉駅においては、駅長、助役らが勤務時間中に本件組合バッジを着用した国労組合員を個別に駅長室に呼び出した上、不利益処分や利益誘導の示唆又は威圧的言辞やサービス業に従事する職員としてはふさわしくない「なめるな。」という下劣な言葉まで交えて、本件組合バッジの取り外しを強く求めているし、北村助役らは、利用客の存在も意に介さず、改札口で改札業務に従事中の国労組合員に対して強い口調で取り外しを指導している。横浜駅においては、駅長、助役らが住吉組合員に対し、本件組合バッジ、更には国労マーク入りのネクタイやネクタイピンにまで繰り返し取り外しを指導し、それに従わなかった同人に対し、七日にもわたって勤務時間内に就業規則の全文書き写しを命じたり、後には撤回されたものの、業務否認(労務の受領拒絶)をしたりするなど懲罰的ともいえる措置を行っている。その他の現場においても、現場の管理者は、利用客の面前での注意・指導、不利益処遇の示唆、就業規則の朗読、書き写し、駅長室等における長時間の取り外し指導、ネクタイ・ネクタイピン・ボールペン等の国労マーク入りのグッズに対する指導等、右とほぼ同様の態様で本件組合バッジの取り外し指導を行った。これらの本件組合バッジの取り外し指導は、右バッジを着用していることのみに対する対応としては、あまりにも執拗であり、かつ、熾烈を極めるものであり、そして、常軌を逸したものといわなければならない。
(六)(1) 本件処分と本件減額措置について検討する。国鉄は、多年にわたって組合バッジの取り外しを指導したり、その着用を理由として不利益な取扱いをしたことはなかった。原告は、昭和六二年四月一日の発足を期して就業規則を施行すると同時に、組合バッジの着用状況等の調査を開始した(しかも、調査・報告を指示したのは同月七日であるが、調査の時期を同月一日に遡らせて指示している。)上、その調査結果に基づき、直ちに本件処分をしている。このことは、職場規律の確立に対する原告の並々ならぬ決意を示すものであり、職場規律の確立を経営安定の基盤と考える原告としてはやむを得ない面があるといえる反面、松田常務取締役の本件処分前における前記「当分は立ち上がって闘う必要がある。……反対派はしゅん別し断固として排除する。等距離外交なども考えてもいない。処分、注意、処分、注意をくり返し、それでも直らない場合は解雇する。」との発言及び本件処分後の前記「今度は、人事部長名であらゆる所に掲示して、宣戦布告し、個人説得をする等してそれでもいう事を聞かない者には処分という形で警告を与えた。しかし、これで終わりではない。どしどしやっていかなければならない。どうしても一緒にやっていけない者は解雇するしかない。」との発言を考慮すると、原告の国労に対する特別の意図があったのではないかとの疑いを禁じ得ない。
(2) また、訓告処分は昇進試験の受験資格に影響し、昇級の減俸、更には以後退職するまでの毎月の給料、一時金、退職金にまで連動し、年を追うごとに不利益の度合いが増していくものである。本件処分当時、訓告処分は、期末手当について減給や戒告といった懲戒処分と同様に一〇〇分の五が減じられることとされており、給与上の取扱いでは事実上懲戒処分と差がなかった。厳重注意を受けた本件組合員らに対しては、「勤務成績が良好でない者」にあたるとして昭和六二年夏季手当について五パーセントの減額を行っているが、不利益はそれに止まらず、その後厳重注意が二回重なると訓告処分がなされるという取扱いであり、厳重注意が深刻な経済的不利益を伴う訓告処分の前提となっている。以上のように見ると、本件処分と本件減額措置は、本件組合員らが受ける不利益が極めて大きく、原告にとって職場規律の確立が至上の命題であり、急務であったとはいえ、発足後間のない時期における採用後間のない社員に対して最初に行う不利益な取扱いにしては、過酷なものということができ、右(1)と併せると、原告の国労に対する特別の意図があり、それによる結果ではないかとの疑いを払拭することができないのである。
(七)(1) 国労と国労以外の組合に対する原告の対応を検討する。原告が就業規則を労働基準監督署に届け出る前に、国労がその問題点について見直しを求める意見書を提出したが、原告は協議に応じなかった。原告は、職場規律の確立を経営安定の基盤としたのであるが、そのことは、原告が、国鉄が職場規律の弛緩も一因となって経営の破綻に至ったものであり、国鉄の轍を踏むまいとの認識から、組合バッジの着用を職場規律を乱すものとして厳正な措置をとることとしたからであると認められる。そうであれば、原告としては、原告が国鉄とは異なる法的主体であるとしても、本件組合バッジ着用の指示を出している国労に対し、組合バッジ着用についての就業規則の運用を、国鉄とは異なる立場で行うことを説明し、説得し、理解を得る努力をするのがあるべき姿であったというべきである。原告は、国鉄時代の職場規律、就業規則に拘束されることなく、独自の立場で新たな就業規則を制定し、新職場規律を確立し、維持する義務と権限を有するものであり、原告における新たな就業規則の制定は、「国鉄就業規則の変更手続」などといわれる実質にないと主張する。それは、そのとおりである。しかし、原告が新たに確立しようとする職場規律は、国鉄の弛緩した職場規律を反面教師とし、その反省の上に立ったものである。したがって、そのような弛緩した職場規律の是正を成しえなかった国鉄の事業と経営及び職制機構を承継した原告なのであるから、そのような弛緩した職場規律のもとにあった国労に対しては、まず、協議に応じた上で、原告の立場と方針を説明する等の理解を得る努力が期待されるというべきであろう。
(2) 鉄道労連が、昭和六二年四月一日付け機関紙において「着けよう鉄道労連バッジ」と組合員に呼び掛けたのに鉄道労連下部組織の東鉄労の組合員が着用しなかったことや、本件処分に関して松崎東鉄労委員長が昭和六二年六月二〇日号の「公益レポート」のインタビュー記事で「……権利だからといって無茶なことをするのは良くないという点で、私たちは会社側と話をしてきた経緯もありますから……」等と述べていることに、動労委員長時代の松崎東鉄労委員長が「駄目な労働組合には消滅してもらうしかなく、駄目な組織はイジメ抜く」旨述べていたことを併せ考えると、機関紙による着用呼び掛けにもかかわらず、東鉄労の組合員が組合バッジを着用しないことについては、原告と東鉄労との間で事前の話し合いが行われ、東鉄労が労使協調関係を維持するとともにこれを誇示し、あるいは国労の対決路線を際立たせる意図の下に、組合バッジ不着用を決定したことが窺われるのである。
(3) 原告は、就業規則によって全社員に対して一律に組合バッジの着用を禁止したにもかかわらず、本件組合員らがこれに応じなかったことから、本件措置がとられたにすぎないと主張する。しかしながら、原告は、協調関係にある東鉄労(住田社長は、前記のとおり、東鉄労とは手を携えてやっていきたいと思うとまで述べている。)が、原告の意向に同調して組合バッジを着用しなくなり、組合バッジを着用しているのが国労組合員のみとなったことを十分認識していたことは、右の事実から明らかというべきである。
(八) 以上に認定、判断したところを総合して考察すると、原告は、原告の方針にことごとく反対して原告に敵対する国労を嫌悪しており、その解体ないしは弱体化を望んでいたところ、原告が本件組合員らに対して行った本件措置を含む一連の措置は、原告が嫌悪する国労所属の本件組合員らに対する不利益な取扱いを通じて国労に打撃を与え、その勢力を減殺し、組織を弱体化させることを主たる動機として行ったものと認めるのが相当であるから、国労(参加人ら組合)に対する支配介入行為というべきであり、労働組合法七条三号所定の不当労働行為に該当する。
第四 結論
以上の認定及び判断の結果によると、当裁判所の右の判断と同旨の本件命令は相当であって、これを違法として取り消さなければならない事由は認められない。したがって、その取消しを求める原告の本件請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用(補助参加によって生じたものを含む。)は原告に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官渡邉等 裁判官森髙重久 裁判官島戸純)
別紙
主文
一 被申立人は、別紙組合員目録1記載の申立人所属組合員に対し昭和六二年六月一二日付けで行った組合バッジ着用を理由とする厳重注意あるいは訓告の処分について、これらをなかったものとして取り扱わなければならない。
二 被申立人は、別紙組合員目録1記載及び同2記載の申立人所属組合員に対し昭和六二年七月三日に支給した夏季手当について、組合バッジ着用を理由として減額した額に年五分相当額を加えた額の金員を当該組合員に支払わなければならない。
三 被申立人は、申立人所属組合員に対し次の行為をするなどして、申立人の組合運営に支配介入してはならない。
1 処分その他の不利益取扱い、業務上の利益誘導等を示唆するなどして組合バッジの取外しを強要すること。
2 組合バッジ着用を理由として夏季手当等からの一律減額措置を行うこと。
3 組合バッジ着用等を理由として、本来の業務から外し、就業規則の書き写しを命ずるなど、懲罰的な取扱いをすること。
四 被申立人は、本命令交付後速やかに、下記の内容の文書を申立人各組合に手交しなければならない。
記
当社が貴組合所属の組合員に対し昭和六二年六月に組合バッジ着用を理由として厳重注意あるいは訓告の処分を行い、同年七月支給の夏季手当を減額するなどしたことは、神奈川県地方労働委員会から労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であると認定されました。
今後このような行為を繰り返さないことを誓約します。
平成 年 月 日
殿
東日本旅客鉄道株式会社
代表取締役 住田正二
別紙組合員目録<省略>